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60代ASD、初の海外(トルコ)に挑む(6)ゴルディオン



フリギア(ゴルディオン)へ

トルコ3日目。今日の終着地はアンカラの南西250㎞にあるアフヨン。長野ー東京間より遠い。
そしてその途中で立ち寄るのが「ゴルディアスの結び目」で有名なゴルディオンの遺跡だ。

この地域はハットゥシャ(ヒッタイト)が崩壊したのち、フリギアと呼ばれる国となった。ゴルディオンはその首都で、実は紀元前25世紀ごろから4500年もの間、ずっと人が住み続けていたという珍しい場所だ。
もちろんそれは偶然ではなく、この場所が地域交通の要であったことの証拠だが、そのおかげでこの地域の支配者はめまぐるしく変わり続けた。

アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)がこの地を訪れた時、柱に革ひもで括りつけられた牛車があり「この結び目が解けたものはアジアの王になる」という伝説を聞いて、試みた末にやおら刀で結び目を断ち切った、という逸話は有名なものだが、そのゴルディオンがこのような意義深い場所とは知らなかった。

ゴルディオン博物館のアレクサンドロス3世の絵。改装中だったが特別に入れてもらった。

ミダス王の墓

フリギアという国にはなじみがないが、この国の王には私たち誰もが知っている人物がいる。イソップ物語に登場するミダス王だ。「王様の耳はロバの耳」や「触ったものがすべて金になる」あの王様だ。

そして、なんとここにはそのミダス王の墓(古墳)があり、中が見学できるようになっている。しかもその木棺(!)を見ることができる。

ミダス王の古墳。左に入り口がある。
玄室へのトンネル。明るい。


ミダス王の木棺。これは複製品かもしれない。

紀元前8世紀(ギリシャではアルファベットが作られたころ)というこの時代の木製製品が残っていること自体が素晴らしい。
さらにこの古墳からは木製のテーブルやミダス王自身と思われる頭骨も出土していて、それはアンカラのアナトリア博物館に展示されていた。

ミダス王の古墳から出土した木製のテーブル。卓面は木ではなかったのかもしれない。

アフヨンへ

ゴルディオンはアンカラからそう遠くない場所で、遺跡を見終わった後は昼食(食欲はあまりなかったがチーズピザとサラダを何とか食べた)を取り、アフヨンへと向かった。

途中、列車が少しの間道路と並んで走っていた。線路をあまり見なかったし、ガイドブックでもトルコの交通の主力はバスと書いてあったのだが、どうやらこの列車はトルコの新幹線のようなものらしかった。

トルコの新幹線らしき列車。アンカラーイスタンブール間を走っているものらしい。

アフヨンには早い時間に着けた。同室者Iさんは、ホテルの向かいのスーパーに夏物衣類を他の人たちと買いに行ってきた。支払いはトルコリラだったそうだ。私は休んで、それから汚れ物を何とかしようとした。このホテルの洗面台には栓があった。

アフヨン市街。ここに限らず交差点はロータリー式が多い。

トラブルと解決

記憶があいまいだが、多分夕食後かなり遅い時間に、私はシャワー室で上着などを洗い、持ってきた携帯用ハンガーで物干しひもにつるした。そのあとショルダーバッグを洗面台で洗おうとして栓をして水をためた。

私はずいぶんボウっとしていたに違いない。
洗面台には栓を開ける機構がなかった。もう一度押してみたが開いてくれない。
困った私はとにかく汚れた水を何とかしなくてはと、手で水をオーバーフローの穴に流し込むことを繰り返して何とか減らした。かなりパニックに陥っている行動だ。
しかし栓は空いてくれない。

Iさんが見に来てくれたが、彼女にも謎が解けない。頼りになるガイドさんは今日に限って別のホテルに泊まり、先生の部屋はわからなくて、第一時間が遅い。

Iさんがフロントに電話をかけてくれた。「洗面台の栓って、なんていうんだろ」と言いながら。
本当にありがたかった。おかげでメンテナンスの人が来てくれた。その人は洗面台の下に手を入れて、栓を外してくれた。どうも、私たちでは解決できない状況だったようだ。

ひたすら感謝したが、そのあと私たちは「こういう時こそチップを渡すべきだったのでは」ということに気づいた。
「自分にない習慣」を思い出すのは難しい。今でも悔やんでいる。

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