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鏡筆のポエム「天使が握っている拳銃」

10月中旬。
この時期になると必ず、北海道はこれから冬に入る、と思う。
そう思わずにはいられないのは、北海道の冬が厳しいからだ。
どれくらい厳しいかというと、自然災害を拷問とすると、毎年、しかも半年の長きの間、拷問を受け続けることになるくらい厳しい。
しかも拷問を受けるのは北海道民全員、漏れなくだ。
北海道の冬の拷問被害の満遍なさと徹底ぶりと確実さと比べると、台風被害や地震被害は局地的であり単発的であり、不確実という救いすらあるように思えてしまう。
つまり、台風や地震の被害は誰が受けるかわからないが、冬の拷問は北海道民全員が毎年半年間も受けることになる。
どっちが不幸かわからない。
もちろんこのように思うことについては、台風被害や地震被害に遭った人に申し訳ないと思う。
しかしこうも思えてしまうのだ、台風被害や地震被害に遭う前に「北海道の人、かわいそうに」と思ってくれていたのか、と。
いや、不幸度の競争はよそう。
それに「好き好んで北海道にいるんでしょ」と言われたら、言い返せない。
さらにいえば、台風や地震は予知できないから予防ができないが、厳しい冬は毎年必ず定期的にやってくるから対策の取りようがある。
不幸度の競争はよす。
感受性が強い人は、北海道の冬に感じ入ることもある。
北海道の冬の白さには、色の概念を超越した何かを感じることができるからだ。
色の基準は白と考えられている、普通は。
つまり、何かに白と黒以外の色を塗るとき、まず白くする。
キャンバスが白いのは偶然ではない。
北海道の冬の寒さは、裸で1時間、戸外で立っている者を確実に殺す。
この緊張感は、北海道民全員が味わうことになる。
日本全国の市区町村の生活保護の担当者がどれだけ貧乏人に厳しく接しようとも、北海道の生活保護の担当者だけは貧乏人から暖房を奪わない。
死んでしまうからだ。
さっき、北海道の冬の寒さは人を殺す、といったが、これは比喩ではない。
拳銃が人を殺すように、北海道の冬に人を裸にして戸外に立たせて1時間そのままにすれば殺すことができる。
北海道の冬は、拳銃と同じ殺人兵器になりうるのだ。
そして北海道の冬は、人々から経済を奪う。
人々は寒さのために動きが鈍くなり、大雪によって交通は頻繁に麻痺してしまう。
だから北海道は貧乏で、それで東京などの人たちから施しを受けている。
それを地方交付税交付金といい、北海道は最ももらっている都道府県である。
しかし経済はその土地を疲弊させる。
したがって北海道の土地は、年に半年間しか、疲弊させられない。
北海道の寒さは、経済から北海道の土地を守っている。
だから北海道の自然は美しい。
北海道の冬は悪魔であり天使である。
そう思ったのだが、しかし大抵の悪魔は天使だし、ほとんどの天使は悪魔だった。

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