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松本氏の挑戦と成功と終焉【性加害疑惑】


明石家さんまの笑いの原点は、萩本欽一とドリフターズの否定であった。

さんまの功績は、つくられた笑いからアドリブの笑いに移行させたことにある。
それにともなって、清潔な笑いから下品でスケベで下劣な笑いに変わっていった。
志村けんや加藤茶も十分下品で下劣だったが、さんまのそれは度を越えていた。
さんまは煙草を吸いながらトーク番組を進め、自分や他人のセックスの話をした。

松本人志には、さんまがかつて抱えたフラストレーションがあった。

さんまが欽ちゃんとドリフの呪縛から逃れたように、松本はさんま的なものを排除して進んでいかなければならなかった。

これが偉大なる松本をつくることになる。
松本はなんと、客を拒絶するという暴挙に打って出た。
欽ちゃんとドリフを否定したさんまでも、客に寄り添う姿勢は欽ちゃんとドリフを真似ていた。
ところが松本は、わからん奴は俺の笑いに接するなといった。
松本の新しいスタイルは、石橋貴明の、客を自分の子分にするスタイルと似ている。

松本の笑いには、1)自身が生み出した天才的な皮肉と、2)さんま譲りのスケベさと下劣さ、の2つの要素がある。
1)についてはこれまで散々語られてきたことなので、本稿では触れない。
本稿が注目したいのは2)だ。
松本が今、性加害疑惑で苛烈な追及に遭っているのは、2)のせいである(2024年1月20日現在)。

松本の乱れた性事情(とされるもの)は、スケベな笑いと下劣な笑いのベースになっていると推測できる。

つまり、松本自身があれほど(とされる)乱れた性生活を送っていなければ、あれほどスケベであれほど下劣な笑いをつくれなかったのではないか。
松本はコントのなかで女性に扮し「私、レイプされたの」といった。
松本は漫才のなかで、「肛門にプリッツを差し込んだらポッキーになった。やりすぎたらイチゴポッキーになった」といった。

松本の笑いを支えたのは、刺激と過激を求める飢えた聴衆だった。
松本は聴衆を「ここまでやった芸人を笑え」と挑発した。
そして聴衆は松本を「お前のスケベと下劣はそんなものか」と挑発した。

過激な笑いに飢えていた聴衆は、松本に大金を渡すことになる。

もちろん、松本の莫大な額の収入を支えていたのは吉本であり、吉本にカネを渡したテレビ局であり、テレビ局に広告料を渡した企業である。
しかし松本のファンたちは、松本が出演するテレビ番組のCMをみることによって松本にカネを渡したも同然のことをしてきたのである。
松本はその大金を喜んで受け取った。
自分の才能の成果である、といわんばかりに。

こんな不潔な関係が永遠に続くわけがなかった。

松本を抹殺したのは、直接的には文春であるが、文春とて世間の支持がなければ砲弾を撃つことはできない。

だから松本は聴衆によって退場宣告を受けたのである。
そして聴衆は笑う機会を失った。
したがって形式上は、聴衆が自ら、スケベで下劣な笑いを断ったようなものだ。
聴衆は潔癖になるほうを選んだのである。



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