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父の遺産を全部もらった彼女は鬼ババなのか つづき2

母が亡くなって、父は軽いパニック障害になっていた。ほんの時々だけれども、発作が起きることがあった。これは不安症とも言って精神的な病気。メンタルヘルスの勉強をしたこともある私は、人間のストレスの最大の原因が「配偶者の死」だということを知っている。いつも明るく気丈にふるまっている父だけれども、母の死というのは、私の想像を超えたストレスだったんだろうと思う。その関連かどうかはわからないけれど、めまいが少しずつひどくなっていた。足元が少々おぼつかなくなって、二階建ての階段の上り下り(寝室は二階)が危険な感じがしていた。

トモコさんが父のところに通うようになって10年位たった時、我が家を売って新しい家に移ることにするという話になった。トモコさんも日々通ってくることに疲れていたし、何より通院や買い物などの生活にあまり便利なところではなかった。父が病院に行くことも増えていたけれど、自分で運転できなくなっていて、いつもトモコさんが運転して通院してくれていた。新しい家は、超便利な新興住宅地だそうで、私としても特に反対する理由はなかった。

普通は、実家を売っぱらうなんて話、子どもはいい気持ではないのかもしれない。実家と言えば、自分の子ども時代の思い出とか母親との思い出がいっぱい詰まっているから、そう簡単に「Yes」とは言えないんだろう。でも我が家は、私が就職した後に新しく建てた家で、実際私は住んだこともないし思い入れも特にない。ずっと県外で転校生活だったので、この土地すらも「おじいちゃん家があった所」でしかない。両親の夢が詰まった家ではあったけれど、よく考えたら母親もたった4年しか住んでなかった。

父親がポツリと言った一言はよく覚えている。「終の棲家として建てたつもりだったのになぁ」と。そりゃそうだな。ずっと県外生活で一度も地元に戻ることがなく、最後の勤務で念願の地元に戻り、集大成として建てた家。やっと手に入れた自分の家だったし、ここで死ぬまで住むつもりだっただろう。当時はまだまだ、バリアフリーや高齢化社会の知識は広がっていなかったから、元気な老後しか思い描けなかったんだろう、残念ながら弱った体で住むようにはなっていなかった。

新しい家は、便利なマンションにでもするのかと思いきや、新築で建てるというから驚いた。この時父親79歳。いやーー、その年で新築を建てようなんて、その前向きな父の姿に感心した。新築の家はコンパクトでバリアフリー、しかも使いやすい最新設備で、私が住む家よりずっと今ドキ。トモコさんの家ももう結構古くなっていたから、結局はこの家で二人仲良く暮らすことになった。

この話、私以外の親戚には超不評。まあ、父方の親戚から見ると、故郷を失くしてしまったような気持ちなんだろう。トモコさんに騙されているんだとか、まあ、色々言ってくる人はいたみたい。確かにちょっと悲しませたかもしれないけど、ワーワー言ってる親戚たちもそんなに長くは生きないでしょから、うるさいのは今しばらくの間だけ。だいたい、ン百年と続く代々の土地とかならいざ知らず、我が家は分家でさらには父で3代目の土地。長男である父親が継いではみたものの、その子どもである私も兄貴も、正直父がいなくなったら持て余すだけだったはず。それを先に処分してくれて有難いとしか思えない。

そろそろ引っ越しというある日、父親から電話がかかってきた。普段ほとんど電話なんてしてこないので、なんだろ?と不思議だった。

・・・つづく


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