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仕事のこと13.10年目の通知表

世の中を見渡しても、自分の仕事や暮らしを考えても、内心、戦々恐々の日々ではありますが。

思い出すだけでニヤリとしてしまう、今年の夏の1ページ。

嬉しくて、楽しくて、でも、色々と心に刺さる気づきもあって、今までとこれからに思いを巡らす時間を過ごした1日。


2021年8月某日。

ひとり、ソワソワしながら準備を進め、会場内を無駄にウロウロする、わたし。

そこに現れたのは、男子2人。

久しぶりだね!背のびたなぁー!元気だった?今はどこで働いてるの?とアレコレしゃべりだす、わたし。

一緒に行こうって誘ったあいつは、きっとまだ寝てるなぁ。

そうだろうね、想像つくわ、なんて会話をしていたら、今度は入り口前に男子1人、女子1人。

ん?会場の家主にご用事かしら??と思ったくらいにして、余所行きな感じで近づくものの。

「絶対、誰だかわかってないでしょ(笑)」って言われてもなお、ピンとこない。が、しかし、ピンときた瞬間の歓喜たるや!二十歳ともなれば、こんなに化けるものかと驚きを隠せない、わたし。


こうして、ポツポツと入れ代わり立ち代わり、子ども教室の卒業生がやってきて、久しぶりだね!元気にしてる?という会話が繰り返される。

子ども教室、10年目の節目に卒業生との同窓会。

といっても、1日、会場で待っているので、入退場自由、都合の良い時間に顔を見せてくれたら嬉しいな、というスタイルにして、高校生以上、SNS等の連絡先を知っている子に直接、そっとお知らせをした。

映像を残すというミッションはあったので、そこだけは外さず。ただ、ほかには一応、写真のスライドとアンケート的なものは用意したけれど、あとはほぼノープランという、結果、出たとこ勝負な企画に納まった。

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(「10周年、おめでとう!」と、1年目&2年目の卒業生からお花をいただきました。とてもキレイ。感謝!)


今、どこにいて、何をしてるの?

高校に入学して、厚真町内の児童数と同じくらいの同級生ができた16歳。そろそろ次の進路に向かって歩き出している18歳。

社会人になって、期待のエースポジションで仕事をしている子。このような状況下でも大学生ライフを満喫している子。高専から大学への編入が決まり、春には北海道を離れる子。

地元に残った子。今はここにいるけど、いずれは育った土地を離れて、違う場所で生活をしてみたいと思っている子。今は離れているけれど、いずれは厚真に戻ってこようかなと、ぼんやり考えている子。

行く先に、まだまだたくさんの選択肢が広がっている。

ま、どんな道を選んでいこうとも、生きていく選択肢さえ外さなければ、それで御の字です。

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子ども教室の10年をふり返る映像をつくるため、厚真で過ごした子ども時代についてもふり返ってもらった。

インタビュアーとしては絶賛、シドロモドロで、こっちの準備はもっと万全にすべきでしたよね?と自らを省みております……猛省。

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「町外の高校に出てみて思ったのは、厚真の子って、自分から発信することができる人が多いと思う。小さい学校だし、人数も少なかったから、なんでも出来たのもあると思うんだけど。今の学校で何かやるっていっても、シーンとする中、ハイ!って手、挙げられるもん」

「楽しかった。とにかく、楽しみだった、子ども教室の日。なんなら、学校より楽しみにしてた」

「○○と△△がよくケンカしてたよね。懐かしいなぁ」

「小学生のとき、子ども教室に参加してて、楽しかったっていう記憶があるから、『同窓会するよ』って聞いたときに、行きたいって思うんだよ。そうじゃなかったら、今、ここに来てない、絶対」

「厚真町の規模感だからかな。良い子ども時代を過ごせたと思ってる」

「厚真から出て、環境変わって、友だちつくるとか、人付き合いで大変なこともあるけど。んー、でも、なんとかなるかなって感じ。地元の友だちもいるし」

「うちらが卒業した後も、うえちゃんやちっちは、ずっとその次の子どもたちも、みんな見てるってことでしょ?それってすごいよね。10年だよ、すごいよ」


いわば、高校生までの子どもたちは、【厚真町放課後子ども教室】という新しい事業を育ててくれた子どもたち。

現・高1の子が小学校に入学した年に始まって、6年間、一緒に活動してきた。それまで、参列することはなかった卒業式も、この代は保護者席の一番後ろから見守った。

卒業生たちの話を聞いていて、彼らが現役の放課後っ子だったときと、今が大きく違うと感じることがあった。それは、放課後子ども教室という事業を育てる、発展させることと同時に、維持していかなければならないというミッションが加わっている、しかも、このミッション、けっこうヘビー級だということだ。


もちろん、これまで活動の質を上げる・保つを目指して続けてきたわけで。仕事としては当然のことだし、積み重ねてきたモノ・コトは自分の財産になっている。何も問題はない。

結果、おかげさまで、10年も続く事業に育ててもらった。中学生以下、現役放課後っ子(小学生)たちは、小学校に入学した時点から、子ども教室は当たり前にあるもの、になっている。


その過程で、活動に対する評価の採点方式が、前:加点法 → 今:減点法 に変わったと思う。


ゼロからつくるものは、やればプラスになっていく。

足場が固まってきた頃合いには、次の建造物が立ち上がってゆく期待もあるだろう。でも、何も動きがなかったら、心配されたり、違うものへ意識が向いたり。同じ形のものを積み重ねたら、期待外れと、がっかりされたり。

"当たり前にある"ところまで育った喜びと、育て続けていく難しさが、背中合わせで立つジレンマ。

まぁね、やってる本人たちが思うほど、まわりはたいして気にしていないし、需要はあるよ、評価もされてる、大丈夫、って思っていればいいのかもしれないけれど、そこに向き合うことをサボったら、つまらなくなるだろうな、自分が。


もちろん、町の子、全員、100パーセントの満足度を得ることは無理。

全部が全部は、欲張り。そこを求めると自滅する。

でも、どんな動機でも、利用頻度が少なくても、子ども教室に参加した子どもたちに対しては、子ども教室が持つ役割を果たす努力はしていきたい。

全部ではない、けれど、子ども教室を通して出会って、関わってきた子どもたちの中に「厚真で過ごした自分の子ども時代は、楽しかった!」と言い切れる子を育てるのが、大きな目標であり、私の仕事なのだ。


今回、厚真町放課後子ども教室を、0から1までにしてくれたみんなに、改めて話を聞いてみて、当時の自分に通知表をもらった気分。

嬉しい、というより、ホッとしたような、救われたような気持ちになった。

1から今はどのあたりを進んでいるかはわからないけれど、当たり前のものとなった世界から、今度はどんな通知表が届くのか。まだ勝負は続いているようだ。

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さぁ、問題はここからですよ。

「5年後くらいに、また同窓会やりたい!」と言われ、

高1の子たちは5年経ったら、21歳。成人式も超えているのか。

21歳のみんなは26歳。26歳って、自分が転職した年齢だったな、とか子どもたちの未来に思いをはせて、

ふと、『5年後、自分は何をして生きているんだろう?』って考えたとき、ビックリするくらい何もイメージできなかったの、わたし。

自分で自分に驚愕。笑ってしまうくらい、ほんとに何も浮かばなくて。

確かに、このご時世、コロナフィーバーを前に途方に暮れている感はあるし、胆振東部地震からもうすぐ3年という、思い出のアルバムが勝手に開いちゃう時節柄ではあるのだけれど、そこを加味したとて、ひどい。

5年後にもまた集まろう!という子どもたちの声が、子どもたちの未来もさることながら、お前の未来も考えろよ、というお告げおに聞こえた瞬間だった。刺さったわー。

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今日から2021年も9月が始まる。

上期終了まで1か月。下期から何かを生み出していくには、重要な1か月となることでしょう。5年後の自分の姿が見えるかどうか、こっちもこっちで真剣に勝負していかないと。


Thank you for coming!!

1st. Fumiya / Tenma

2nd. Hibiki / Yosaki / Mitsuki / Dai / Hisaki

3rd. Keisuke / Hiromu / Momoka / Hakuto

4th. Takuya / China / Shiho / Kento / Shuna / Haruki

5th. Tenji / Rinno

6th. Miyabi / Rurika / Miyuu / Toshiki / Natsuki / Nami / Yu-mi / Runa

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