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厚真で暮らすこと6.火曜日は塾の日。

毎週、火曜日は塾の日。

6年前から週に1度、上厚真地区にある厚南会館を会場に、中・高生を対象とした私設塾『厚真未来塾』のお手伝いをしている。

数学と英語の学習指導が中心で、現在は中学生18名が通っている。

在籍している子たちが、子ども教室の卒業生ということもあり、塾が開設された頃、みんなの顔が見たいがために軽い気持ちで様子を見に行った。

そして、トトンとそのまま手伝うことになった…らしかった。

「英語と数学、どっちがいい?」と聞かれて、数学は無理ですと即答。

とはいえ、英語だって人に教えられるほど出来るわけではない。

みんなと一緒に勉強し直そう、くらいの気持ちで、本屋さんで参考書を探すところからスタートした。

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Q)あなたの好きな教科は何ですか?

A)公民(政治・経済もしくは現代社会)、国語(作文、現代文)、英語


Q)では、あなたの苦手な教科は何ですか?

A)数学、理科(化学)


各問いに私はこう答える。

自分の生活において、実用性があると思える教科はモチベーションも高く、特に政治・経済の授業は楽しみだった。

高校時代に使っていた資料集とか、今も持ってる。ボロボロだけど。

大学時代には一応、教職課程も履修して、高校・公民科の免許状も取得した。教育実習も行ったっけ。確か、終戦から新憲法制定あたりまでを模擬授業でやった。懐かしい記憶。


歴史や古典、倫理、生物は可もなく不可もなく。


一方、数学や化学は、ほぼほぼ興味が持てなかった。

今でも覚えている。文字を使った式の計算問題。1個200円のリンゴX個と、1個100円のミカンy個、1,000円で何をどれだけ買えるか云々、という問題を見て、

『公式に当てはめてひとり黙々と考えるより、お店の人に1,000円でリンゴとミカン、どれだけ買えるか相談できるコミュニケーション能力があれば良いのでは?』

と思った自分。

最大、いくつ買えるかわかったところで、その日の気分はリンゴだなって思ったら、リンゴを1,000円分買うし、必要な個数なんて自分の匙加減じゃん!

と、職員室で数学の先生に言った困らせたことも。その様子を隣で見聞きしていて、爆笑する我がクラス担任(国語)。そんな職員室で過ごす時間が案外、好きだった。

今ならわかるとも。

リンゴとミカンの個数を正確に知るためだけじゃなく、答えにたどり着くまでの論理的な思考プロセスが重要だということを。

でも、やっぱり数学や化学・科学のチカラを駆使して出来上がったモノゴトを、研究者たちの努力に感謝と尊敬の念を抱きながら、ありがたく使わせてもらう側で十分です、と思ってしまう。

興味を持つ、って本当に大事なことである。


なんちゃって講師ではあるけれど、みんなと勉強をするうちに、何をどう伝えるか、ということをよくよく考えるようになった。

子どもたちの理解度、言葉のチョイス、教材。

教えるのって難しい。

あれ?こんなのやったっけ??と、自分の記憶を探っても探っても、全然呼び覚まされない単元もあったり。

参考書等のカンニングペーパー通りに伝えても、私自身がよくわかっていないときは、やっぱり伝わった感がないし、なんとなくのニュアンスでもつかんでいるときは、それなりに熱量を持って話をしている気がする。

今年は教科書が変わって、これまでに教えていた流れも変わり、教え方の組み立て直しもしなければなるまい。

毎日、教科を教えている先生、尊敬する。

まぁ、基本的には、学校で習っているという前提があるから、ゼロベースではないのだけれど、せっかく塾に来ているのだから、少しでも「わかった!」とか「点数が伸びた!」を増やしてあげたい。

勉強するって本来は楽しいことだと思うから。

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中学・高校生の頃は、学習内容の理解度は足りなかったかもしれないけれど、テストの点数を上げるということにはモチベーションがあったので、テスト前には点数を上げたいがために勉強していた。

(テストが終わればほぼリセットだったけど。先生も報われないわよね)

それでも、自分の目的を果たすために、スケジュールを管理して、モチベーションを保つスキルは身についたし、それは今の自分にも活きている。


詰め込み教育の功罪みたいなことがささやかれ、総合的な学習の時間が試験的に始まった頃の教育を受けてきた私。

中学時代は1学年50人くらい、高校になっても90人くらいの規模だったけど、良きライバルがいて、熱量のある先生方がいて、勉強する環境にはとても恵まれていたと思う。

中学に入って教科書を見てもさっぱり意味が分からなかった数学。

教科担当の先生に質問しても、教科書と同じ文言しか返って来ず、やっぱりわからない。

そのことを担任に話したら、「教科書、持っておいで」といって自分の専門教科じゃないのに教えてくれた先生。学年が変わっても、担任じゃなくなっても、「わからないところがあれば、いつでも来なさい」と言ってくれたのは、とても嬉しかったし、心強かった。

高校時代の社会科の先生もまた同様で、質問をしにいけば丁寧に解説してくれたし、出してもらった模試や問題集などの課題も、提出すればマルつけまでしてくれた。

わからない が わかったに変わると楽しいということを、たくさんの先生方に教えてもらった。

これも出会いだなと思う。


社会人になって、色んなことを経験して、勉強することの意味や楽しさを再認識するようになった。

当時は苦手だった数学や理科も、今ならもうちょっと勉強してみてもいいかなぁ、と思っている。

そんなことを思えるようになり、まがいなりにも何かを教える機会を得ている今、私がしてもらって嬉しかったこと、社会人になって気づいたことは、次の世代へ届けてあげたい。

相手にする人数や理解度の差で、なかなかうまくいかないところもあるけれど、勉強することの楽しさを、どこかで感じてもらえるようになったら嬉しい。


さて、次のミッションは間接疑問文。

……中学時代にこんなのやったっけ??

はて、これはどうやったら伝わるだろうか。その前に、まずは自分の理解が問題だ。参考書を何度かさらっても上滑り感、満載。

でも、なんだろう。とても楽しいぞ。

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