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厚真で暮らすこと9.分を弁(わきま)える

立場とは、その人が置かれている地位や境遇、またはその人の面目などを言う。

職業とか、地域の中での役割とか、1人でいくつかの立場を持っている人もいるだろう。

私の場合、厚真町で仕事をする個人事業者で、厚真町放課後子ども教室の専任スタッフで、厚真町商工会青年部の理事で、厚真町まちづくり委員会と厚真町スポーツ推進委員の委員だったりする。


懐にいくつかの立場カードを携えている今、一方向だけではなく、そのほかのカードへの影響も視野に入れておくことは重要だ。

どんなときでも、『子ども教室のうえちゃん』である自分を忘れてはいけない、と思って暮らしている。

立場を持つとは、そういうことだ。


「……それって、息が詰まりませんか?」と、しばしばお気遣いをいただくことがあるけれど、心配ご無用。

なぜなら、『子ども教室のうえちゃん』であることに、無理がないからだ。

いつでも明るくありません。優しさよりも厳しさ担当です。ボケではなくツッコミです。相手が子どもでも大人でも、嫌なものは「(-""-)イヤ!( ゚Д゚)ヤダー!(´・ω・)エー」ってすぐ顔に出ます。負けず嫌い。打たれ弱いので、自分のペースは崩しません。

わりと素直に生きている(笑)本当の自分、なんてたいそうなものおらん。あれもこれも、どんなときも、全部わたし。

それに、立場があるから、職業としての仕事にも、地域の役割としてのシゴトにも、責任と面白さをもって挑むことができるのだ。

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だがしかし、この"立場"ってヤツは心の支えになることもあれば、心を折られるときもあるから、面倒くさい。


分(ぶ・ぶん)を弁(わきま)えるとは、自らの立場、身の程をよく心得ていて、出しゃばらないことを言う。


個人の想いと成し遂げられる立場が、イコールであれば最高だけど、それが一致しないことだってある。ましてや、その立場が組織という看板を背負うものであれば尚更。

これまで歴史を積み重ねてきた、組織の壁は想像以上に分厚くて高い。当然だ。守るべきものを守り、真剣に各々の得意技を磨いてきたのだから。


それゆえに、

業界の垣根を超えた新たな取り組み、とか。

地域社会の一員として立場を超えた連携、とか。

キラキラワードが世界にはたくさんあるけれど、生垣と生垣の間にちょっと空いた隙間から、マンガみたいに、ひょこっと顔だけ出たかなー、くらいの話も多い気がする。体は自陣に置いといて、状況が変われば、すぐ首を引っ込められる、みたいな。

また、ちょっくら垣根を超えてみるか♪と安易にのほほんと近づいたら、いろんな思惑が絡んでいたりして、結果、余計なことをしたことになり、ズバーンッと雷が落ちるんだ。

「分を弁えろ」

と閻魔様の暗く低い声が、念で送られてくる(気がする)。ヒーッ。邪魔してごめんなさーい。


『立場を超える』は容易(たやす)くない。全っ然容易くない。


もうね、自分の役割を全うしていれば、滞りなく社会生活は送れるし、心穏やかな日々を謳歌(おうか)できる。それで良しとしようじゃないか。

分を弁えて……。


……あ。

分を弁えているということは、当然、為(な)すべき務めがわかっている、ということであるわけで、それが一方では出しゃばった真似に見えたとしても、反対側から見たら必要な助けになる、なんてことはないかしら?

モノは考えよう。自分にだけ都合の良い解釈、そう思われても致し方なし。

でも、私が途方に暮れてたとき、困ってたとき、たくさんの人が立場を上手に使いながら助けてくれたもの。このご恩はいつか必ずお返しするとともに、次の人へ送っていきたい。

それに、また閻魔様の声にペチッとおでこをはたかれても、ドンマイ、ドンマイって自分で冷えピタ貼って立ち向かう勇気を持たねば、これから自分がやりたいと思っているアレコレは実現しないのだ。


『立場を超える』は容易くない。でも、あきらめない。

立場を超えるために必要なのは、覚悟と勇気と根回し。つまるところ、人と人との関わり方の問題なのだと思うわけです。

とはいえ、自分の打たれ弱さは重々承知しているので、コソコソ動いてる感満載になってしまう。これ、よろしくない。わかっている。そこは負けん気の強さで、どうにか……なるか?(ならんなぁ)

焦らず、無茶せず、出来るところから、ね。最初はコソコソ感があっても、どうか大目に見ていただきたい。切実に。

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