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仕事のこと8.卒業、その後。

厚真町内にある2つの小学校でも、それぞれ卒業式が執り行われた。

昨年は臨時休校のさなかで制限も多く、子どもたちのことを思うと切ない気持ちになったが、今年は例年通りとまではいかないものの、子どもたちや保護者の方々にも活気があり、みんな良い顔をして学び舎を巣立っていった。


毎年、子ども教室に来てくれていた6年生には、卒業アルバムと称して1人1人、写真とメッセージカードを切り貼りした色紙を贈っている。

年明けとともに写真を分ける作業にとりかかり、印刷したものをチョキチョキ切り出し、コラージュしていくところまでが、私の担当。

装飾や名入れはもう1人の専任スタッフである相棒が担当し、メッセージカードはそれぞれが書いたものを貼る。子ども教室の活動最終日に撮る集合写真を添えて、卒業式前日くらいにやっとこ完成させるのだ。

始まったころは、写真選びも1年分、2年分……の写真をさかのぼれば良かったものが、年数が経つにつれ、4年分、5年分と増えていき、今では6年分をふり返るので、年々、卒アル制作期間が延びている。

今年は、標準サイズ26枚。ミニサイズ9枚。枚数としては例年並み。

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年度末は卒アルに加えて、報告会(パワーポイント+スライドショー)と活動日ごとのふり返り(スライドショー✕4本)の制作作業もある。

この時期、ずーっと机の前にいて、パソコンというブラックボックス、ならびに、写真とハサミとのりに全集中力を傾ける日々が続く。

寝不足になり、肩がバキバキに凝り、目もしばしばする。

でも、私たちはきっと現場を去るときまで、可能な限りこのアルバム作りは続けていくと思う。

なぜなら、卒アルは、これまで子ども教室に来てくれた子どもたちへの感謝であり、送り出していただいた保護者の皆さんへの活動報告だからだ。

そして、卒業しても子ども教室はみんなの居場所だから、ここで終わりじゃなく、またいつでも子ども教室に帰ってきてね!というメッセージを届けたいのだ。

卒業と同時に次のつながりを結びなおす、そんな年中行事になっている。

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(6年前の卒アル。この頃は写真が少なかったからもっとアルバムっぽい)


3月は小学生の卒業だけではない。中学、高校、短大や専門学校も卒業シーズンであり、それぞれのステージに立つ卒業生から、その後の進路の便りが届く。

「高校受かったよー!」と報告に来てくれた中学3年生。

「大学決まったけど、授業はきっとリモートだと思うんだよね」「俺らは就職」「高校からそのまま専門学校であと2年」という高校3年生。

「春から社会人デビュー。引っ越しもして、一人暮らし満喫中」という専門学校生。

話を聞いているだけで明るい気持ちになる。大人になったとしみじみ感じる部分と、子どもの頃と全然変わってませんけど?となんだかホッとする部分と、それぞれ持ち合わせて、また一歩、先へ進んでいく姿はとても美しい。


最近、卒業生に会う機会が続いている。

子ども教室、今年で10年目なんだよねー、同窓会企画的なモノやれたらいいなぁと思ってるんだよねー、と話をすると、

「10年ってすごいね!でも、そうだよね。だって子ども教室、楽しかったもん」

と、返事がかえってきた。

報われるってこういうことだな、と思う。やっぱり、子どもたちには感謝しかない。卒業してもなお、子ども教室を支えてくれる存在がいること、これ以上、心強いものはない。

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学校教育の現場では、学習指導要領が改訂され、2020年度から2022年度にかけて、小・中・高校とそれぞれに新たなカリキュラムが組まれていく。

ICT教育・Society5.0・SDGs・GIGAスクール構想・STEAM教育・プログラミング教育・アクティブラーニングなどなど、教育業界のトレンドを検索すれば見慣れぬワードが次々に並ぶ。

グローバル社会を生き抜くためには、デジタル技術の習得と、それらの技術や知恵をどのように活用すべきか、自ら考え判断し、行動していくチカラが必要になる。そうした人材を育てるために、取り入れるべきだと言われるのが上記のような見慣れぬワードたち、らしい。


これらを主に担うのは学校。教えるのは現役の先生。

と、考えると学校教育の現場では、より専門性の高い教育産業へのアウトソーシング(外部委託)が進んでいくと思う。

今までになかった概念を、次々と総合学習や教科学習に取り入れていかなければならないってことでしょ?ただでさえ、教職員の働き方改革が叫ばれる中で?

お金はかかるけど、餅は餅屋へ、という考え方は今後、ずっと広がっていくのだろう。

これはこれで、学校の先生の負担は軽減されるし、都市部と地方の教育格差みたいなものも解消されるかもしれない。コロナ禍でオンライン授業もがっちり市民権を得た今、デジタル化の波に追い風も吹いている。

教育の機会が均一化されて、どこに住んでいても同じ教育が受けられる。

どこに住んでいても同じ……。

こうなると、地方への移住を考える人が増える可能性が見えるので、地方側はいかに選ばれる地域になるか、その点が重要になってきますよねぇ。。。

「どこに行っても同じ教育が受けられるなら、別に厚真じゃなくてもいっか」っていうこともあるわけで。

「どこに行っても同じ教育が受けられるなら、厚真がいいな」になるために、どうしたらよいのか。

教育の機会を均一化は、同時に厚真町ならではの教育の独自性や、地域の魅力を、より強く打ち出すこととセットで準備しなきゃいかないのだろうと思う今日この頃。


そして、そこが社会教育の活かしどころだと私は思うのです。

社会教育の目指す姿には、多様な学習・文化活動が展開され、その成果がまちづくりに活かされること、とうたわれている。

社会教育のベースはまちづくり、地域コミュニティの活性化、生きがい、伝統・文化の継承なのだから、その強みを活かして事業を組み立て、学校や家庭と協働していくことが、これからもっと必要になってくると思う。


付け焼刃なトレンドを現場に持ち込む勇気、私にはないので、それは餅屋さんにお任せするとして。

餅屋さんにとっては、たくさんあるうちの一つが厚真かもしれないけれど、私たちにとっては唯一無二の地域なので、『厚真に、今、君たちがいる。暮らしている。生きている』を感じる活動は、こちらで引き取らせてもらえれば御の字なんですけどね。

外のチカラと内側のチカラをうまく混ぜて使うこと、これをシゴトから仕事にしてゆけるのか、喫緊の課題です。


"小学校卒業の時はピンク。中学はエメグリ(エメラルドグリーン)。次は高校卒業したらまたプレゼントしに会いに来るね。これからもよろしく"というメッセージを添えていただいた三色ボールペン。

ピンクの方は3年前にもらってから、芯がなくなったら買い替えて、紛失しないように大事に使ってるよ。

新しいペンも大事に使わせてもらうからね。

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