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苗木。(2024/05/25)

今日は弘前大学に留学している中国の子たちがインターンシップに来てくれている。うちみたいな風で簡単に吹き飛んでしまいそうな小さな会社に、留学に踏み出せる力を持った彼らを毎度送り出してくれる担当の先生には感謝するばかり。摘果の作業を延々と進めてみるけど、こんな地味な作業をしてもらっていいんだろうかとも思う。なにかしら持ち帰ってもらえればいいなぁ。

妻は津軽あかつきの会も関わっている田植えのイベントに行っている。田植えの伝承料理もあるとのことで、書籍化されていないレシピがたくさんあるのだなぁと思う。妻がいないと急に口数が減り人見知りが発動してしまうので、留学生といっしょにお昼を食べながら「中国と台湾だと、食べるものも、違うの?」などとつまらないことしか聞けない自分もなんだか久しぶりで、いや、ちゃんとそれを聞くに至った流れもあるんだけど、いやお前もうちょっと気の利いたこと聞けよとも思う。

ということで、ご飯を食べた後、ゆっくり休んでねぇ、などとそれらしいことを言い、畑の隅っこのりんごの木の陰に逃げ帰り寝っ転がって、ちまちまと書いている。言語の壁って分厚い、言語力とかではなく自分の何かが試されてる感じ。とりあえずひとりの空間を確保して、一息つく。

この前、りんごの苗木を植えた。あんな頼りない細っこい苗木が、何十年も経つと、ゆっくり寝そべれる木陰を作ってくれるのだから、何が何だか、という感じを覚える。その苗木を植えながら、7年後が楽しみだねと、妻と話をした。うん、そうだねぇ、と言ったものの、冷静に考えてみると、自分たちの時間軸もずいぶん浮世離れしてきたものだなぁと感慨深い。

小説家の古川日出男さんが書いていた日記で、定点の話をしていた。

苗木を植えている俺たちは、ひとつの定点を置いているのかなぁと心に残った。りんご畑を所有する、ということもそれには違いないのだろうけど、それとはまた違うような定点、自分たちの手で置いた定点というのが、この前植えた苗木や、去年や一昨年植えた苗木、なのかもしれないと思った。

定点に居続けるというのも楽なことではないけど、しばらくはそういうやり方で、ここにいることができればいいなと思う。

そして今朝の日が昇る頃、去年の5月からずっと書いてた小説が終わった。6月からごりごり書き直していく。ここからは未知の領域。ぞくぞくするぜ。そしてこれもまた定点か。

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