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自分を肯定することは、「丸ごと」の自分を肯定すること

こんにちは、藤沢優月(文筆業)です。


うまくあらわせるかわからないですが、最近「もやもや」していることを、文字にしてみたい。

要旨は、こうです。

「あなたは、そのあなたでいいのに」
「あなた以外誰も、そのあなたを、否定していない」


このようなことを感じる機会が、とても増えました。
想像ですが、世情が切迫していることも、関係していると思う。


とはいえ、コトがいざ、自分(私)のほうを向くと、同じ気持ちになってしまう。
要するに、誰もが自分に、いちばん厳しい。

ですので、「自分(私)自身も込みで」という意味で、書いてみたい。
「もやもや」の感覚をうまくあらわせるか、とにかくやってみます。

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このような葛藤を、最近、とりわけ感じます。


「命が、大事か」
「気持ちが、大事か」

ご存知の方は、ご存知と思う。
別動線で、「『自分の命を、自分で守る』勉強会」を配信しています。

ご一読の方は、ご承知のとおり。
世情・状況が、大変シリアスです。


うっかり対処を誤ったら、命を失ってしまうかもしれない。
要するに、人生が、そこで終わる。

……本当に。

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たとえば、物語やフィクション、想像の中では、人生は何度でもやり直せる。

でも「現実ごと」として、現実世界には、二度と元に戻せないことがある。
代表的なものは、命です。


一度失ってしまったら、二度と、同じ状態に戻すことができない。


後悔することも、ぶつぶつ言うことも、文句を垂れることも。
あるいは、
「生きたくない」
と毒づくことも、あるレベルで命が保証されているから、できること。

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そんな中、運営している ONSA という団体の、ワークショップ。
ご参加者の皆さまから、ある時を境に、このような言葉が消えました。

「生きたくない」

かき消えました、この言葉。
"本質的な意味で"、おいそれと言わなくなった。

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「生きたくない」という言葉。

そもそもこれは、「〜したいのか」「したくないのか」という、選択肢のある状態。

ところが、あまりにも激烈な世情で、選択肢自体がなくなった。

油断すると、一瞬で、命を持ってゆかれる。
判断を誤ると、二度と取り返しのつかない角を、曲がることになってしまう。


多くの「お仲間さん」が、
「生きたいか」
「生きたくないか」
という選択肢を、本能的に捨てた。


代わりに、こういう姿勢になっていった。

「今の状況は、嫌」
「納得がゆかない」

そして、

「この先を生き残るには、何をすればいいのか」

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多分、こういうことなのだと思う。


「はじめて死を、身近に感じている」
よって、生(せい)の決断も、断固としてきた。


自分の命を、自分で生き残らせるために、必死。
これが多分、本質的な意味で、「生きる」ということ。

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そうなると、非常に重い葛藤に、晒されることになります。

どういうことかというと、先頭の言葉に戻ります。

「命が、大事なのか」
「気持ちが、大事なのか」

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というのも、私は著者として、
「その方法は、よくない」
「あなたの、その考えは、動作しない」
「やり方を、変えないといけないよ」

こんなシーンを、たびたび経験してきました。


要するに、「肯定的なノー」と言われるやつ。

やり方を改善するため、前進するための「ノー」。

人格否定の「ノー」とは違います。
やり方について言っているわけであり、人格について言っているわけではない。

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……出版の現場にいれば、容赦なく浴びせかけられますよ。
いや。どんな仕事でも、同じですよね。

「おもしろくない」
「売れそうにない」
「アイディアがつまらない」

でも、慣れないといけない。
その世界で、生きてゆくには。

そうして、生き抜きました、私も。

(人格否定のノーではなく)
「肯定的なノー」は、実際、役立つのです。
現実を知り、スキルを上げて、強く、生き抜いてゆくために。

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でも人は、「ノー」という言葉に敏感ですよね。
「ノー」という言葉に、あたかも、人格を否定されたかのように感じてしまう場合も。


「そのやり方は、よくない」
このような言葉が、

「あなたは、よくない」

脳内に、こんなふうに、響いてしまうかもしれない。


それでも、平素の、時間のたっぷりある時ならいいですよ。
「ノー」に怯え、ノーを理解するために、何ヶ月でも何年でも、時間をかけていい。
誤解をとくために、時間を使ってもいい。

でも、有事の時は、そうはゆかない。
そんなことをしていたら、文字通り、死んでしまう。

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だから、この「肯定的なノー」。


「その方法は、よくない」
「あなたの、その考えは、動作しない」

「これは、人格否定ではない」
「私の命を守るために、起こっていることだ」

この感覚に、どれほど迅速に慣れることができるのか。
耐性がついてゆくのか。


このことが、とても重要のように、私は思っています。

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この記事をご一読の、「"無自覚型" 共依存」の皆さま。
ぜひ、ONSA WORKSHOP に訓練にきてください。

この感覚は、練習を重ねないと、慣れることができない。
人は、少しでも否定的に響く言葉を聞くと、反射的に、心が閉じてしまう。

怖いからです。

でも今、この反射行動をやっていたら、命が守れなくなる。


命が失われてしまったら、時間が、そこで終わってしまいますよね。
やりたかったことも、取り返したい後悔も、全部そこで終わり。

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まとめます。

「あなたは、そのあなたで、いいに決まっている」

もしダメなら、なぜあなたは、あなたとして生まれたの?


「あなた以外誰も、そのあなたを、否定していない」

あなたは、とても魅力的。
あなたがいることで、世界が豊かに思える。

だから、たったひとつしかない命を、大切に守ってほしい。


この叫び、伝わるかな。
どうか、伝わってほしいです。

それでは、また。


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