私なんかが、苦しいと言ってもいいんですか? 世の中には、もっと大変な人が、いっぱいいるのに[1]
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<< 続きです>>
順番的を追って読んできたあなたなら、この2つの言葉を覚えたはず。
ここからはいよいよ、後者の話。
自分に何が起こっているか、"無自覚型" の共依存の話です。
実は、私もこれ。
他人に指摘されるまで、無自覚。
でも、苦しかったです。
そして、苦しいのは自分が至らないからで、がまんが足りない人間だからだと、ずっと思い込んでいました。
(自身に「虐待」などというワードが関係があるとは、頭にのぼりすらしませんでした)
私の場合は、他者が外側から、
「あなたのご家庭には、もしかして、問題があるかもしれない」
「『共依存』という単語で調べて、できれば、一度相談に行ったほうがいい」
やんわりと、優しく諭していただいたおかげで、気づけました。
指摘してくださったのが、専門知識を持つ、心理学科の教授だったことも、幸いしたと思っています。
ちなみに、著者が大学時代に、起こったことでした。
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ですが正直、自分が援助者の一人となり、二十余年が過ぎた此の期に及んでもまだ、
「私の努力が、足りないのではないか」
どこかで、こんなふうに思っている節があります。
そして、つい「がんばって」しまいます。
この癖とは、一生のおつきあい。
ですが、今では、人生は桁違いに幸せになり、"本当に" 生きることができるようになってきました。
率直に言えば、「別人生」です。
そして私は、今生きている人生のほうが、俄然いいです。
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自分のこととなると、いろいろ「発動」してしまうので、話が先に進まなくなります。
ですのでここでは、「お仲間さん」……弊社(ONSA)の被援助者に焦点を当て、話を進めることにします。
いわゆる "無自覚型" 共依存の特徴。
それは、こんな感じです。
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この人たちは、とにかく、人に好かれます。
そりゃあそうです。
自分より他人を優先し、めったに(……というかほぼ)怒らず、相手を尊重する。
嫌われる要素がないです。
ですが、かんじんの自分が、自分のことを「好き」と思えない。
だから、たとえば誰かといても、空虚。
「この人は、私が合わせているから、私のことが好きなんだ」
「本当の私を見せたら、私のことは、好きではなくなるだろう」
「……人生って、何なんだろうな」
「ずっと、こんな感じで、進んでゆくのかな」
内心は、こんなふうに感じているかも。
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ですが、現実問題として、日々は「すべきこと」であふれている。
次々に、用事も発生する。
なにせ、社会の大部分が、本当に文字通り、この人たちのおかげで回っている。
がんばるのも、この人たち。
尻拭いも、この人たち。
残業も、休日出勤も、機嫌のフォローもこの人たち。
日々は、忙しい。
自分の人生だけが「お留守」状態で、時間は、どんどん進んでゆく。
本人目線で、ことの外側だけ見れば、ものごとはすべて、順調に進んでいる。
揉め事も、丸くおさめられる。
仕事も、外側から見れば、普通に恵まれている。
金銭的に、派手な問題があるわけではない。
友人だって、別に、普通程度にいる。
好きな習い事だって、趣味だってある。……何が問題?
いったい何が問題なのか、自分でも、よくわからない。
何がまずいのか、うまく、言葉であらわせない。
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「心が空虚」
「自分の人生なのに、そこに『自分』というものが、いない」
これが、問題。
そして、この状態は、放っておいてはいけない。
甘く見てはいけない。
仮にですが、周りの友人が、
「人生なんて、だいたい、そんなもんだよ」
「いつまでも、中二病みたいなこを、言っていられないしね」
こんなことを言っても、うのみにしてはいけない。
(その人たちは決して、人生の責任も、発言の責任もとってくれない)
自分の中の、
「何かがおかしい」
という感覚のほうを、勇気を出して、信じなければならない。
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というのも、その感覚は、正しいです。
少しの時間差をへて、じき、現実的な問題が出てきます。
だいたい、20代の後半から、30代をすぎるあたりで、じわじわと噴出してきます。
やがて、生死を分ける大問題に、発展する場合も。
というのも、この "無自覚型" 共依存。自殺率が高い「共依存」は、がぜん、こちら。
世界の自殺者のいったい何十パーセントを、この人たちが占めているのかと考えると、恐ろしくなります。
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つまりですが、こんなことが起こってきます。
「自分」不在のまま、周りを意識して、決めてしまった決断の数々。
たとえば、交際。あるいは、結婚。
仕事。
生き方……。
時間がたつごとに、その現実から、いよいよ降りられなくなってくる。
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最初は、
「私さえ、ちょっと我慢すれば」
「もっと、がんばれば」
乗り切れるからと、背負ってがんばって、何とか乗り切ってきた状況。
それが、時間が進むごとに、想像とは異なる方向に、どんどん進んでゆく。
「こんなはずじゃなかった」という事態になる。
これが、大きな問題。
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この、"無自覚型" 共依存。
これは、先に述べた "自己申告型" 共依存とは、あり方も出方も異なるもの。
ですが、同じように、時間とともに、人生が苦しくなってゆく。
よって、気づくタイミングは、早ければ早いほうがいい。
対処を開始するタイミングも、1日でも早いほうがいい。
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弊社(ONSA)ワークショップにご参加の「お仲間さん」も、おっしゃいます。
「あとひとつ、ライフステージが、手前だったら」
「もう少し、気づくのが早かったら」
ですので、「あれっ?」と感じたら、ぐずぐずしたくないです。
「私なんて、助けてもらってもいいんですか?」
「世の中には、もっと大変な人が、いっぱいいるのに」
こんなことを、言わないで。
このタイプの場合、「現象に気づく」ということが、最大のポイント。
ほんのちょっとでも気になったら、ONSA WORKSHOP にお越しになってみてください。
それによって、人生が守られるから、私は今、この情報を書いています。
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