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私なんかが、苦しいと言ってもいいんですか? 世の中には、もっと大変な人が、いっぱいいるのに[2]

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人はみんな、自分の人生、自分の幸せに、責任を持ってゆくもの。
そうしないと、年月をへるごとに、人生が成り立ってゆかなくなるから。

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ところが、(私も含めて)この、"無自覚型" 共依存。

無意識に、こんな哲学を信じて、生きてしまっているかもしれない。

・がんばって、がんばって、自分を犠牲にして貢献しなさい
・「徳」を積みなさい
・そうすれば、あなたのよさを、いつか誰かが認めてくれる
・そうすれば、よい人生がもたらされるでしょう


……冷静に読めば、「どこの根性論だよ」という話です。
現実的な大人の考えからすれば、この考えは、ちっとも現実的ではない。


ですがこの、"無自覚型" 共依存。
幼少期に、こんなむちゃくちゃで、非現実的な処世術を叩き込まれてしまった。
ちっとも現実的ではなく、現実解決能力のない方法を、生き方として押し付けられた。


「三つ子の魂百歳まで」と言われるほど、幼少期の影響は、強いもの。
心理学の研究によると、人は3歳までに処世術の鋳型を作り、その鋳型を7歳までに発展させて、その先を生きてゆくそう。
特段の介入や、再訓練がなければ、まさに「三つ子の魂百まで」。


もし人生初期に、「幸せ」や「自己肯定」「自己尊重」を教えられず、代わりに、お花畑で無知・無茶な根性論を信じ込まされたら。

「あなたさえ、ちょっとがまんすれば、すべてはうまく回る」
「あなたさえ、もうちょっとがんばれば、丸く解決」

こんな、無茶苦茶な処世術で生きることを、強いられてしまったら。
そのレールの延長線上で、その後の人生も、「がんばって」生きている状態になっていたら……。

しかも、そのことの異常性に、本人が無自覚であったなら。
年齢が上がるにつれて、人生は、どうなる?

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この考えでは、どのみち、現実的にうまくゆかない。

それなのに、 "無自覚型" 共依存は、無自覚ゆえ、こんなふうに「自分の側を」罰してしまうかもしれない。


「私の人生が苦しいのは、まだまだ、自分の努力が足りないからだ」
「もっと大変な人もいるのに、自分は、我慢も頑張りも足りない」

「こんな自分では、ダメだ」
「がんばりが足りないから、よい人生がこないのだ」


ここで、無限ループ。
しかも、無自覚ですから、無限ループにも気づいていない。

代わりに、どんどん努力し、山ほど「がまん」する。
皮肉にも、この行為によってますます買われ、ますます期待され、ますます成果が上がる。

猛烈な努力のおかげで、自分「以外」の自分の周りの人は、幸せになる。
(↑ 重ねて、本人は、猛烈な努力とは思っていない)


いよいよ、この「がんばり」ループから、抜けられない。
しんどくても、やめる口実が見つからないから。

いっけん、現実的に「うまくいっている」ように見えるからです。
あなたが、自分を二の次にし、自分の心や想いを不在にして、「がまんして」「がんばっている」以外は。

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話が、ほんの少しだけずれまして、ONSA(弊社)のワークショップでは、いろいろなことが起こります。
だいたい、こういうケースが多いです。


「私なんかが、助けてもらってもいいんですか?」
「世の中には、もっと大変な人が、いっぱいいるのに」

こんな気持ちで、遠慮がちに、お越しになる方。
ワークショップの場に合流してから、突然、涙が止まらなくなります。

後から思い出したら、生まれてはじめて、「安心」と、「意味がわかる」を経験したとのこと。
気持ちがゆるみ、泣いてしまったそうです。

こんなことを、私は何度も、何度も目撃してきました。


あるいは、何度も参加してから、やっと、
「私って、実は、大変だったのだ」
「よく、生きてたな」
こう気づく方も、非常に多いです。

ここを自覚するまでに、だいたい平均、1年ぐらいかかります。
それぐらい、普段は自分を無にし、心の叫びに耳をふさいで、気を張って生きている。


あるいは、
「ここは、自分のことを話してよい場なのだ」
そう、自覚的に気づけるまで、しばらく時間がかかるよう。

いつも、延々ひたすら、他人優先の日々。
自分の話す順番が、長いこと、回ってこなかったかもしれません。

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この、"無自覚型" 共依存については、まだまだ、書きたいことが山ほどあります。
ですので、時間を見て、順番に書いてゆきたい。



ですが、現時点で言えること。

それは、「ん?」と感じたら、なるべく早く、一歩を踏み出すこと。
これが、いちばんのポイント。


私(著者)は、これで命拾いをしましたし、この行動がなかったら、まったく別の人生を歩いていたと思います。
そして、別の人生は多分、幸せなものにはならなかったです。

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あなたの人生は、あなたが負う。
そして、あなたが「お世話」している人の人生は、本来は、その人が負うもの。


その「がまん」と「がんばり」の先に、よい人生はないかもしれない。

その代わり、道を変えると、びっくりするほど、人生がひらけてくる。
同じ努力なら、こっちのほうが、かたむけがいがある。



絶対に、こっちの選択のほうがいいと言えるから、こうやって書き、広く情報を知らせています。
同じ経験を有し、その沼から出た私は、きっぱり断言できます。

<< 続きます >>




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