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The Great Storm of Will

こんにちは。私の記事を見て頂きましてありがとうございます。私が最近感じたことを日記のような感じですがしたためておきたいと思います。

こちらで記事にしている内容は私の個人的見解を述べさせていただいているだけですので、科学的エビデンスやスピリチュアルな部分、何かについて正しい、正しくないといった専門的な内容につきましてはご覧いただいた方によってご判断、見解をしていただければと思います。私は好き勝手書いておりますので責任は持てませんのでご了承ください。

最近の私の勝手な妄想と変な記事になっているかもしれませんのでお読みになる方の参考になれば幸いですが不快に思われる方は他にご興味のある記事に移って頂ければと思います。

ちょっとした出来事

明け方まぶたの裏に鮮明な画像が映し出された。少し久しぶりだったので記憶をするという意識が間に合わなかったために画像の記憶が出来なかった。そしてその後に3つの紋章が浮かび上がった、一つは鳩の紋章ほかの二つは記憶が出来なかった。映し出られる時間は短い。感覚的には右目のまぶたの裏が鮮明な画像左のまぶたの裏が紋章。とてもくっきりと見える。
脳の機能なのか他にも同じような事を言っている人がいることにびっくり。

私の勝手な瞑想方法

私の瞑想は適当に気が向いた時に適当な姿勢で行います。短い時間で効果的に実践できるやり方です。お時間の無い方や、長い時間瞑想をすることが苦になる方にお勧めです。
あくまでも自己流ですのでやり方が良いか悪いかは別としまして、私なりの実践方法としておすすめしたいと思います。
方法としましては、どのような体制でもいいのですが、私的にはリラックスできる体制がいいと思います。何も考えないで無にするというよりも本当に深い場所に向かう意識(半分寝てしまう感覚に近いです)でその中にある何かを本気で意識しながらする事。そこまでの場所にドンという感じで一瞬で落とし込むような感じでしょうか。
宇宙との繋がり、月の自分との繋がり、地球との繋がりを意識しながら瞑想をする。繋がりを感じるというよりも自分がその繋がりを作り出し、作り出したものと繋がっている意識を感じながら瞑想をする。
実際に頭の中で語り掛け対話をするように会話をするときもある。五感だけでは無く、六感、七感も存在して、それ以上の集中もする事が出来るんだと考えながらさらに深く集中して瞑想をする。そして「ああ、繋がっている。」と考えながら実際に繋がりを感じる。
対話はたいてい瞑想時というよりもふとリラックスした瞬間に脳のある部分を使って「ピン」とか「ツン」という感じでと繋がっている感じがおきてどばーっと対話をしてくる。そのような存在との繋がりを期待している自分もいるし、脳の機能の一部なのかもという考えをすることもある。
実際に松果体のあたりが「ツン」とか「カチン」といった音が頭の中でなることもあります。何かに反応しているのでしょうか。

そして最近の対話の内容の紹介です。内容は偏った見方なっているかもしれません。興味がある方は物語のように楽しんで頂ければと思いますし、不快に思われる方は他に興味のある記事に移動して頂ければと思います。半分物語としてお読み頂ければ幸いです。

感情は後付けされたもので作り出されたもの。感情を作り出し操作することで支配しやすく物も売りやすい。
生きたいという欲求をもつから色々と心配してしまう。
不安になってしまう。
自分の寿命がいつしか自分でコントロールできると傲慢になってしまい自分の寿命を天命に任す事が出来なくなった。
様々な欲求に支配されてまだ死にたくないと思い、色々と不安になり、何かを試してみたり行動したりしてみたりあたかも自分の選択で寿命が決まってくるような考え方になっている。
そして自分の寿命を他人に託すようになっていく。中には自分の寿命が延びたものもあるかもしれないし、短くなったものもあるかもしれない。
自分が納得いくような人生を送りたいという欲求が自分の満足感を何かに依存することによって慰めている。
今ある自分がどのようにしてここに物質として存在していて、今ある私が過去どれくらいの祖先によって命を繋いできたのか。
そしてその祖先が未来の私に何を託してきたのか。
そして未来の私は私のDNAから何を汲み取り何を考えるのか。
心の声を聞く。DNAの声を聞く。繋がりを意識することで過去の祖先つまりは自分との対話を意識しながら。
すべての過去の祖先、自分の中に残っているその何かに語り掛ける。そして繋がりを意識して感謝する。心の底から自分のどれくらいの寿命になるかはわからないけれど、今こうして存在して、楽しいんだり、悲しんだり、苦しんだり、成長したり、いろんな事が出来る。それだけでも奇跡的な幸せを感じる事ができないだろうか。
そして過去のあなたたちのその何かを感じながら日々生きていく。
その長い過去の先にある私が自分の寿命について自分であれこれ判断ができるのだろうか?生かされた寿命を出来る限り全うする事が自分に課せられた最低限の仕事であり私がこの世に存在している最初の起源であり最終目的なのではないだろうか。
繋がりを意識することが出来ればすべての祖先が私を励ましてくる。
慰めてくれる。そして自分らしく生きて欲しいと願っている。私ならそう願う。そして最後のその瞬間まで自分とその何かを信じて生きていかなければならないのではないだろうか。
その声を自分の中に深くもぐりこんで聞くことが出来るかどうか。そこに意識を集中させれば対話も出来るしその声を聞くことも出来ると私は思っています。そして素直に親に生んでくれてありがとう。子供に生まれてきてくれてありがとうと思えれば欲や不安な気持ちも和らぐのではないでしょうか。
自然と天命だと思って受け入れていければいいと思っています。

話が少々変わりまして

善と悪は片方が善を信じ込ませることが出来ればもう片方が悪になり、
その悪側から善が悪だと信じ込ませることが出来れば善も悪になり。
では真実は何処にあるのか。真実は目の前にある。
善であり悪でもある。悪でもあり善でもある。つまりはどちらもあるしどちらも無い。必ず善か悪かに分ける必要は無い。その善と悪という感覚そのものを作ることが出来る。悪を作れば善が必要になる。どちらかを決めるにはどちらかが作らないといけない。そうすれば自然とまた逆が生まれる。
最近の情勢を善悪で判断しようとすると混乱する。
なぜなら今までの善悪の考え方の概念が何かによって変わってしまったのだと思う。または変えられてしまったという感じか。
つまりは善も悪も考える人次第であって、はじめから自分の都合の良い方だけを善、都合の悪い方を悪で解釈してしまうと、わざわざ自分の中で善と悪を作らないといけなくなる。簡単なのは今までの善と悪の概念を一度捨ててしまう事。必ずしもすべての人が善と悪にならないといけないと考えるようにできていたものが今までの概念だとしたら、そこから見方によっては善と悪という風に見えるような考え方に変わった。その視点に立つと情報が滅茶苦茶に見える。そもそも情報が滅茶苦茶なのだ。それに善悪をつけろという事になっている。滅茶苦茶な情報に善悪をつけようとするから混乱する。今までの善悪を一度捨て去って、むしろ捨て去らなければ滅茶苦茶な情報の色眼鏡を外すことが出来ない。これからさらにこの様な状態がエスカレートし変化していく可能性もある。いや、今までの情報というものが取り残され始めているのかもしれない。大切だと思うのはそれら情報を踏まえたうえで自立した考え方。発想を柔軟にした考え方が大切。

発想ついでに最近月の自分と世間話をした時の話を織り交ぜたいと思います。

はじめは月にいる自分と地球にいる自分が二人というよりも二つの意思があって最終的に一つに戻ると考えていたのですが、月の自分の意思によると大きくとらえれば私たちは一つは一つなのだけれどもそれが大きな一つから無数に枝分かれをしていてそのうちの枝の一つのような感じが自分たちであってただその考えをそのまま今の発想で捉えてしまうと小さいものになってしまうので物質で捉えないようにしないといけなくて月の自分はハブみたいな感じなんだけど地球の自分が今まで物質界で知ってきたことがあまりにも小さすぎてそもそも物質というもの規模があまりにも小さすぎて、言葉という言語のようなものでは表現が出来ない。まずはそれにとらわれないようにそもそもなぜおまえの小さな考えで決めつけてしまうのはどったらこうたら延々と続く感じでとにかく発想は豊かにしておかなければついていけなそうという事はわかる。

最近気になることが多々ありまして。

この記事の内容もそのような部分があるのですが、日々様々な人のブログやSNSで情報収集していますが、そのブログを見る前に私の頭の中で思い浮かんでいた表現と全く同じものがあります。勿論いろいろな解釈はできると思いますが、例えば似たような情報を見ていて頭の発想が近くなっているとか脳がディジャブのようにそう感じているだけとか。それだけではなく、私は日々そこそこの数の本を読んでいますが、その中に数年数十年前に書かれた本も当然ありますが、同じく浮かんでいる表現が同じものがあります。直感で感じているものはその著者と同じものを受け取っているのではないかという事です。私は過去のnoteで(いつかは忘れてしまいましたが)表現としてに知識は色々学んで自分の頭に後付けしていくものではなく、既にそこにあって無限にそこに広がっているものを見つけていっている作業のような考え方をしているのですがその情報のような物が自分の意識で求めている事によって引き寄せられている感覚になってきています。つまり意識することによって受け取れる状態になっているという事です。今でいうスピリチュアル物ですので話半分でお読み頂ければと思いますが、生まれてから今まで物質界すなわちお金や仕事が地球における社会活動の全てで、今も生きる(食べていくためには)仕事をしていかなくてはなりませんが、ひと昔にあったあなたの知らない世界のようなものはあるのかもしれないけど、いまいちピンとこないまま日々を送っていて、生きて行くという事は仕事をしてお金を稼いでそれが全てだと思っていたものがそのような現代に生きながらも不思議な形で受け取る事ができる。ふと考えてみれば、今生きている人が実際にわかる範囲などはせいぜい自分の祖父母くらいまでで、テレビや携帯電話などはつい最近の事で、いいとこわかる範囲が100年くらいまでだとしても、歴史は教科書で学ぶものでその過去が全て正しくて、というか教科書は正しいと思っていて、それ以前の数億年レベル、(または時間に換算したら気が遠くなるくらいの時間)の過去の事など知る由もないのですが、今の自分が存在している時点でその数億年レベルの過去を否定することは出来ないのですが、実際に何があったのかはわからないのです。何がどうなっていたかなどは自分は1%も理解していないだろうと思いますし。そのような状態の中でその何かを意識をすることによりその果てしない何かの情報を受け取ることが出来てきているなら、意識をすることでその意識が益々顕在化してくるのならこの意識を止める理由はありません。知りたいと思えば意識がそれを引っ張てくると思います。日々受け取った情報が携帯のメモ欄をパンパンにしていて、何が書いてあるかわからないくらいになっているけれどそれは大したことないとして。
意識の力。すべては無限で意識をすることによって顕在化することが出来ると思う。無限の宇宙からしてみたら70億人が同時に自分勝手な意識をしたところで大した数字では無いと思いますし。
その一人一人が意識を無限に使ったところで無限に広がっている宇宙にしてみたらちょこっとの事なのかもしれない。ちょっとしたアセンションなのかもしれないけれど今まで見ていた世界が狭すぎたのかもしれない。一人一人が一つの惑星だったとしても無限の宇宙にしてみたら勝手にしてくれのレベルだろうし。気付きとかそういうレベルでは無いかもしれない。今まで思っていた霊や魂とは一時の状態に過ぎなくて肉体は物質だから死んでしまったらそこで終わりなんだけど、そういう事では無いような気がする。肉体があって魂のような状態があって言葉に出来ないがそのまた先の状態もまた先の状態も無限に形を変えていくものかもしれない。輪廻したい人はまた輪廻を繰り返して形を変えたい人はどんどん意識のままに変化していく。その先にあったものが今の物質界なのかもしれないし。物質界がただ一つの次元でもしかしたら次元というのは無限に広がっているものなのかもしれないし、ただし現時点が別次元の先端とは限らずあくまでも時間軸のある物質界においての先端という意味で。とにかく何も知らなすぎる。でも知る必要は無いのかもしれない、一つの答えを求めたがるけれど形が一つではないかもしれないし、自分の意識が何もかも創っていくものであるかもしれないし、発想はそれこそ時間の許す限り無限にすることが出来るものだから。


最近ふと思ったことを今回は記事にさせて頂きました。少し乱雑になりまして読みにくい文章になってしまいましたがお許しください。
こういう考え方もあるなと日々の思考の一つにしていただければと思います。

日記程度の短い文章でしたが最後までご覧いただきましてありがとうございました。
皆さん「賢く、謙虚に、注意深く、勉強熱心」を心掛けて
何よりも自分の体と精神を大切にして、あなたひとりひとりが大切な存在です。そして心から皆様のご健康とご多幸をお祈りいたしております。
またお時間ありましたらお付き合いください。
ありがとうございました。

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