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苦しみに満ちてるのが人生や


90歳で第一歌集を上梓した遅咲きの歌人だった

僕は6年前に大腸がんの手術を受けた。ステージ4でリンパ節に転移があり、術後も1年ほど抗がん剤治療を続けた。それでも5年後の存命率は20%程度だと言われた。もしその2割に入れなくても、それもまあ人生だと、できることを精一杯やろうと前向きに生きてきた。結果的にその2割の中に入ることができた。しかしこの6年をふりかえると、けっこう新しいことに手を出し、がむしゃらに生きてきたような気がする。そのせいもあるのか、手術前よりも元気になったのではないかという知人友人も多い。
実際どうなのか、自分ではわからない。が、僕の気持ちの在り方を左右するようなことがあったとすれば、それは母のひと言だろう。
「悪いとこ取ってしもたからな、元気になるなる一方やがな」
これは母の口癖だ。母は40代で子宮がんを、50代で胃がんを2回、60代で大腸がんを、そのほかに数度体にメスを入れている。今のような腹腔鏡手術ではなく、開腹手術を頻繁に受けてきたのだ。僕が大腸がん摘出の手術を受けた翌日、94歳の母は心筋梗塞のカテーテル手術を受けていた。そしてそのひと月後ペースメーカーを入れる手術を受けた。そんな人のそんな言葉はとても説得力がある。
僕は自分の病気の事実を母に伝えてはいなかった。余計な心配をさせたくなかったのだ。ペースメーカを入れるか手術が終わって1週間後病室の母に電話をして、手術に立ち会えなかったことを詫びた。
「仕事が忙しくて……」
「うちは大丈夫や。あんたはあんたのことに集中したらええ」
返す言葉がなかった。母はかまわず話し続けた。
「身体の悪いとこ取って、修理して、なおして生き続けてきたけど、そのたびにうちは元気になった。今度もそうやで。元気になる一方やがな。百まで生きたる」
そう言って、どこにそんな元気が残っているのかと思うほどの大きな声で笑った。
「そやな。あんたはそう簡単に死なへんわ」
そう言って返すのが精一杯だった。母はなおも話し続ける。
「苦しみに満ちてるのが人生や。楽な人生なんかあるわけないんやで。その苦しみを一つひとつ乗り越えるのが人生や。ふり返ったら乗り越えてきたことが楽しかったと思えるんやで。そう思てあんたもお気張りやす」
電話を切った。
〈なんや、苦しいのがあたりまえなんや。それは乗り越えたらしまいなんや。なんや、そんな簡単なこと、今まで分からんでもがいてきたんや〉
そう思った。そう思ったら、すうっと身体の力が抜けて急に楽になった。
〈俺も悪いとこ取ったんやから、ちゃんと修理したら元気になるんや。な〜んや〉
死への不安は裏返せばそれだけ生きたいと思っているということ。だったら生きることに集中したらいい。なにも悩んだり落ち込んだりすることはない。母は身をもってそのことを教えてくれているのだと思った。
〈俺もあんなふうに生きたい〉
そう強く思った。
母は昨年98歳で他界した。100歳まで生きることはできなかったが眠るような大往生だった。
僕は思った。母は人生をも乗り越えたんだと。
母は今もって僕のあこがれだ。

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