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夢の終わり


ずいぶん前のことだが、馴染みの居酒屋で綿引勝彦さんと隣り合わせたことがあった。そう、「鬼平犯科帳」では大滝の五郎蔵とよばれる密偵の親分を演じている俳優だ。鬼平のことをいろいろと語り合った後、腰を上げかけた綿引さんから最後にこんなことを訊かれた。
「鬼平の話の中で、どれがいちばん好きですか?」と。
躊躇なく「密偵たちの宴」だと答えると、綿引さんは焼酎を一口飲んで「うれしいな。ぼくもそうなンですよ」と笑った。
「密偵たちの宴」は相模の彦十、舟形の宗平、大滝の五郎蔵、小房の粂八、おまさという密偵たちが酒を酌み交わし思い出話に耽るうちに、当世の盗賊働きを嘆き、真のお盗(つと)めとは何か見せてやるべきだとあらぬ方向へ……。高利で金を貸し儲ける竹村玄洞という医者を標的にして……。言ってみれば、普段は影の存在である密偵たちを主人公にした話だった。脇役にスポットが当てた話だったのだ。
で、綿引さん、上げかけた腰をふたたび落ち着け、さらに話は弾んだ。綿引さんは少々酔いが回ったのか、こんなことをつぶやいた。
「鬼平も、そろそろ終わりだなあ。みんな年をとっちゃって。実年齢よりもうんと若い役を、無理しながら演(や)ってるンだよ。ちょっと無理があるかなあ……って、みんな思ってる。殺陣だって思うようにからだが動かないしね。もう潮時かもしれないな」と。
しばらくして「THE FINAL」と銘打たれた「鬼平」を見て、綿引さんのその言葉を思い出した。
確かになあ……、と思う反面、でもやっぱりかっこいいなあと思うぼくがいた。殺陣も大切だろうけど、「鬼平」はやっぱり人情の機微を織り上げたドラマなのだと。
その「五年目の客」は何度か映像化されているが、その夜のものがいちばんよかったと思っている。「夢なんだよ」という鬼平の最後の言葉は、吉右衛門さんの「鬼平シリーズ」すべての話が夢だったンだよと諭されているようで、なんとも言えない気分になった。
欲を言えば、相模の彦十、小房の粂八が出てこなかったのが心残りだったが、江戸家猫八さんも、蟹江敬三さんも、綿引さんも、そうして吉右衛門さんもとうに彼岸にいってしまった。
鬼平はもう戻ってこないのだろうかと思っていたら、吉右衛門さんの甥、松本幸四郎さんが五代目鬼平を引き継ぐというニュースが流れた。夢はまだまだ続くのだ。

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