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竟(つい)の仕事


歳を重ねて創作意欲は強くなる一方だ

「竟の仕事だ」その陶芸家は目に力を込めて言った。
齢82。もうそんなに仕事を続けられないと感じているのだろうか。
否、そうではないだろう。
「最近よく竟の仕事って言われますよね」
「そうですね」彼は視線を手のひらに落として笑った。深く刻まれた皺の数を数えているようだ。そうして続けた。「この歳になると、毎回これが竟の仕事だと思って自分を奮い立たせて土に向かうンです」
陶芸家の家に生まれたわけではない。若い頃に焼きものの専門教育を受けたわけでもない。高名な作家に弟子入りしたわけでもない。会社勤めをしていたが、それを辞して鹿児島市の工芸研究所などで学び、窯を築いて焼きものの道に入ったのだ。スタートは決して早くない。

「また新しいことに挑戦するんだよ」

ひょっとしてこの人はその時からずっと竟の仕事だと思ってきたのかもしれないな。今度の仕事ができなければ潔く焼きものをあきらめよう、と。
追い求めてきたのは「用の美」だ。暮らしの中で使われ生き続ける器だ。大切なのは機能を果たすことはもちろん、心を満たすかどうかだ。そのことを強く求めてきたのだ。誰の心を、だ? 使う人の心だろうか。
ぼくは思う。彼は自分自身の心を満たすものを求めているのだと。
窯を築いて50年、それは自分の仕事への問いかけの連続だったに違いない。これでいいのか、いや、もっと……。果てしないくり返しだ。彼の心が満たされた時、それこそが竟の仕事になるのだろう。ひとつの仕事を続けるということは、凄まじい覚悟が必要だということだ。
時間をかけて彼の仕事を撮らせてもらうことになった。ぼくはどんな覚悟で臨めばいいのか……。生半可なぼくは彼を前にして自嘲することしかできなかった。

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