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天文館の夜がさみし


サンクチュアリのような店だった

天文館の夜がさみしい。
一代という店があった。この秋突然店を閉めた。鹿児島の飲み助にはなくてはならない店だった。
6、7人も座ればいっぱいになるカウンターと小上がりに座卓が5つ。ほどよい加減の広さだった。鹿児島にきてすぐからだったから、かれこれ20年は通った。
だけどぼくはこの店で「いらっしゃい!」の声をほとんど聞いたことがなかった。
声を出す暇があったら、せっせと働く。そんな感じだ。でも暇になったり、手が空いたりすると、話し相手になってくれた。その自然な感じがたまらなく好きだった。1週間に6日行ったこともざらにある。あとの1日は満席で入れなかったのだ。毎日でも飽きない。

愛想はないけど愛はある

夏と冬で少々変わりはするが、メニューは年中変わらない。冷奴がおでんの豆腐になったり、キスフライがカキフライに変わったりするくらいだ。串焼きも砂肝とレバーしかない。品数もしれている。毎日のようにくる酔客は、毎日ほぼ同じものを食べていた。飽きないのだ。
うなぎは、1年を通して他の気取った店のどこよりも、安くてうまかった。うなぎ1尾。貝汁とご飯をつけて、値上げしても2千円を超えることはなかった。居酒屋だと言う人もいる、大衆食堂だと言う人もいる。〈うなぎの一代〉だと言う人もいた。
ビールと焼酎、日本酒はあるけど、ワインはない。瓶ビールは5本しかない。烏龍茶はあるけど、コーラはない。
愛はあるけど、愛想はなかった。だから、「いらっしゃい!」などというお愛想はいらなかったのだ。
一代が店仕舞いした後、居酒屋難民という言葉が囁かれた。同じ時期に何店舗もいわゆる名店と呼ばれた店が閉まり、行き場を失った飲み助たちがさまよっていたのだ。飲み助たちというよりも、ぼくはこの南九州最大と言われる歓楽街、天文館が行き場を失ってさまよっているように見えてならない。
天文館の夜がさみしい。

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