見ると見ないの話
映画『関心領域』を鑑賞してきました。
多くの人にオススメしたいと思う一方で、お金払ってこれを観なきゃならんのかという内容であるのはまた確か。
音楽含めて音が怖いので苦手な人は要注意。
予備知識がなくても家に帰ってから調べれば物事の理解は出来るし、予習してから見ると理解が出来る分、恐ろしさは倍増。
とにかく、この映画を観るとなると家で色々調べてしまう。
その作業をさせること含めて作られていると断言する。
そして、この映画は昔あった恐い話などではない。
今も我々にも常にそこにある。
場合によっては当事者になる可能性が転がっているよという話。
これ以上語ろうとするといわゆるネタバレは避けられないのでお手数ですが、したくない方はここまででお願い致します。
しょうがないからまだ読んでやろうという方、引き続きよろしくお願い致します。
私個人の見解となるのできちんと答え合わせ出来てない部分もあるかと思いますが、アウシュヴィッツ強制収容所にガス室ができる前までの話であろうというのも大事な点かと。
銃の音とそれに伴う叫び声はあるけれど、そこに触れずに日常を過ごす家族。
ガス室という手段を考え出したのは効率的に虐殺を行うためだけではなく、その場にいる者の心理的負担を和らげる為でもあったのではないだろうか。
映画の中でルドルフ・ヘスは最後にえずく。
あれが身体が起こしたストレスや拒否反応だったのかそれともガス室のイメージを伝えるための演出だったのか。
追記となりますが大事な可能性が抜けておりました。
ヘルマン・ヘスはアウシュヴィッツの地で絞首刑に処されることになります。
苦しがる様子は絞首刑の要素を落とし込んだのかもしれません。
さて、この映画はナチスの異常性や戦争への批判を表すだけの映画ではない。
すでに多くの方が論じているが、僕らだって見たくないものは見ない。
意識的だろうと無意識的だろうと。
ウクライナやパレスチナの現状を持ち出さずとも歌舞伎町のトー横キッズなんかもそうだ。
楽しく観光をしている普通の人々がいる隣に困難を抱えた少年少女とそれを悪用する大人がそこにいる。
ヘス一家が本当に異常なのかは段々と難しくなってくる。
立場や思想によって行動は変わる。
今ここにいる自分と違うのか。
違うというならなにが違うのか。
少なからず、スマホばかりみて半径5メートルの困りごとを見ない人間にはならないよう僕は気をつけたい。
最後にこの見出し画像について。
この写真は東武ワールドスクウェアで撮ったものでズームしていくとカールおじさんとその仲間たちがいたりします。
気づいていたあなたはよく見てる人。
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