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かわいい・きれい・かっこいい考察

①【かわいい】自分→自分

違和感がある。かわいい=幼さ、弱さ、つけ込まれる隙のように思ってしまう。
自分で自分に封じてきた要素なので、自分で自分に投げかけると??となる。

②【かわいい】他人→自分

ちょっとだけ嬉しい。ポジティブな意味で言ってくれているのだなぁ、とは思う。でも、どこか下に見られているのか?何か抜け目があったかな?と感じてしまう。

③【きれい】自分→自分

うれしい。きれいになりたいので、褒め言葉。
ただ、顔のつくりが優れているとか整っていてバランスがよい、という感じがするのですんなりとは受け入れられない。憧れているような方はみなかわいい系より美人な綺麗系なので目標。まだ到達していない。

④【きれい】他人→自分

これもかわいいと同じくらい受け入れられないかも。自分が整っているとはあまり思えない。大人っぽさもあまりない見た目・スペック持ちなのであまり言われないのもありそうだけど…

⑤【かっこいい】自分→自分

このなかでは1番すんなり思える。
強くあろうとしているし自立しようとしているし、凛とした中性的な雰囲気に惹かれてきたのでそれを理想としていたから。
余談だけれど小学6年のときの授業で、『人に頼られるようなしっかりした人間になりたい』と書いていたので少なくとも10年以上前からかっこよくありたいと思っているらしい。長女イズム。全ての不器用で頑張り屋の長女さん、私はいつでも味方です。

⑥【かっこいい】他人→自分

同性からだとなおさら嬉しい。
お洒落をとことん楽しんでいるときや、スペックにぴったりの格好をしていると特に褒めてもらえる。アバンギャルド要素が多いと特に女の子受けがよい。

異性から言われているシーンだとすると、一般的な女性像からはかけ離れていて若干引いている、というふうにとらえてしまう。
悪意なく言ってもらえたとしたならお洒落が、服が好きなことを肯定してくれたように感じてとても嬉しいと思う。

まとめ

私の「かわいい」アレルギーは根深い。
きれいは目標。かっこいいは自認。

自分の中の可愛さの存在は無視しないように、ちょっとだけ思い出してあげてもいいかも。

親しみやすい見た目と気難しく頑固な中身の整合性をどうやってとっていこうかな。