グループを推す、ということとカレーの話
推しのSNSのプロフィールから、彼が所属するグループ名の肩書が消えた瞬間を見た。
実際は、わたしが見た瞬間に消したわけじゃないだろう。
でも、彼のユーザー名をタップした瞬間、キャッシュがクリアされて新しいプロフィール文が読み込まれた。それは前の物からいくぶん簡素になっていた。
なにを削ったんだろう、と考える間もなく気づいてしまった。
指先がつめたくなる。息がうまくできない。
彼はもう「FAUST」じゃない。
ラストライブの衝撃
デビューと同時に推し始め1年半応援し続けたグループが、なんの変哲もない11月の日曜日に突然の活動終了を発表した。
「明日のライブをもって5人での活動は最後となるかもしれません」
文末のふわっと感は置いておいて、ファン仲間たちが驚いたり唖然としたりどこかに理由を求め始めたりするなか、わたしはあんがい冷静だった。
前日にFAUSTじゃなくなったのを見ちゃってたから。
そのあとやっぱり肩書を戻してくれたのは、いや、いったん消してみたのは、何を思ってのことだったんだろう。
元々行くつもりだった翌日のライブ。
ラストライブと銘打たれたそのステージを予定どおり観に行った。たった20分のパフォーマンス。
めちゃくちゃ心に残ったそのライブのことはまたほかのところで書きたい。
ステージも物販での交流も、幸せと楽しさしかなかったけど、でもやっぱりめちゃくちゃさびしかった。
一日あけた今も、悲しくてさみしくてしょうがない。
どうしてこんな気持ちになるのか。
わたしは彼らの何を応援していたのか。
お前、情緒どうなってるんだよ
ラストライブのMCで泣きじゃくる客席を見た、とあるメンバーが言った。
「え、みんなそんな悲しいっすか?」
直後「おいお前、情緒どうなってるんだよ」とツッコんでくれたリーダーのおかげもあってただの冗談になったその発言だが、ファンとアーティストの認識のずれとしてけっこう核心をつく部分があると思う。
「俺たちまだまだこれからっすよ?」
それは知ってる。知ってる。
ずっと見てきたから、全員にすごい才能があること、これからどんどん夢をかなえていくこと、知ってる。
それでも、だからこそ、わたしたちが泣きたくなる理由は違うところにあるはずだ。
カレーを作るには鍋がいる
好きな食べ物に「カレー」をあげる人はたくさんいるが、その中にもいろいろ種類があるように思う。
・「カレー」という食べ物が好き
・カレーに入っている特定の野菜が大好きで、その野菜の食べ方として「カレー」が好き
・ライスと食べるカレーが好き
エトセトラ。
「僕らまだ生きてますし」
「それぞれ色々頑張っていきますし」
と言われても、それで片付く気持ちと片付かない気持ちがある。
「野菜庫にじゃがいも、裏の畑に玉ねぎと人参、豚肉は隣の養豚場で手に入ります」
「わたし、カレーが食べたいんですけど」
「カレールーは戸棚にしまってありますよ。あ、でもうちには鍋がないから無理ですけどね」
ジャガイモが、玉ねぎが好きすぎてカレーを食べていたわけじゃないんだよなあ。
この味の、この配合が好きだから。
たとえば、隠し味が入ったり、いつもと違う材料を使ってみたとき。
「あ、これならいける」
「あ、今回のはちょっと好みじゃない」
そういうのはあり得るかもしれないけど、「カレーがなければパスタを食べればいいじゃない」とは、常には、ならない。
パンも麺類も美味しくいただくけれど、この世から「カレー」がなくなったら、そんなのは嫌だ。
天板に集めてきた材料を並べる。
玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、豚肉、カレールー。
カレーが食べたいのに、ここには鍋がない。
鍋を手に入れるすべを、ただのファンでしかないわたしは、もたない。
ファンにも夢がある
彼らには夢がある。
その夢をかなえる様を見届け、応援したいと思ってきた。そういうつもりだった。
でも傲慢なファンには夢があった。
いつか、5人のファンだけでこの会場が埋まったらな。
いつか、オープニングアクトじゃなくて対バンという形で立てたらな。
どうやらその夢はかなわないんだな、と脳がきっちり認識した瞬間、冷静な思考はかき消されて大げさなほどの水分が視界を揺らした。
わたしの好きなFAUST
FAUSTが彼らの「こうあるべき」姿だと思わない。
やってきたこと、めざしているもの、バラバラすぎる5人が、たまたま縁あって引き寄せられたこのグループ。
止まり木のようなものだったのかもしれない。それでもそこには、大好きな景色がたくさんあった。
5人の歌が好きだった。
5人のラップが好きだった。
5人のダンスが、ステージで見せるやりとりが、客席に向ける挑発が笑顔が好きだった。どう喋ったらウケるかなあとあっちこっち模索したり、迷子になったり、たまに諦めてしまったり、それでも曲に戻ればカッコよさしかないパフォーマンスが好きだった。
全然タイプの違う5人が「そんなところで気が合うんだなあ」「お互い認め合ってるんだなあ」そんな姿を見ているのも好きだった。
そして、客席を楽しませるんだ、「We are “FAUST”」を見せつけるんだという息の合った気迫が、なによりも大好きだった。
だから、5人の名前が、あるいは人数が、あるいはほかのなにかが変わってしまうことにこんなにも感傷的になってしまうのだ。ファンってたぶんそういう生き物だから。
これからのこと
彼らから一度も「解散」という言葉を聞いていない。
仲違いもしていない。
これからのことはまだあんまり決まってないらしい。
いや、決まってるのかな?
フワフワしてるって言ってたな?
そのあたりが「最後になる『かもしれません』」なのかな?
わからないことはまだまだ多いけど、伝えなきゃいけないことがある気がしたんだ。
彼らには見えなくて、わたしたちには見えるもの。
ステージに並び立つ5人。
そのシルエットがどんなにカッコよくて自信に満ち溢れていて、ファンに勇気と幸せを与えるか。
応援し始めてからたったの1年と4ヶ月。
宝物みたいなこの日々は、大切にしまっておきたくなんかなくて、みんなに見せびらかしたくてたまらないくらいに今でもきらきらと光り輝いている。
わたしにカレーの美味しさを教えてくれたのは、間違いなく、FAUSTだ。
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