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オーケストラ・アンサンブル金沢 岩城宏之メモリアルコンサート(2023年9月9日,石川県立音楽堂)

2023年9月9日(土)14:00~ 石川県立音楽堂コンサートホール
1) コルンゴルト/ヴァイオリン協奏曲ニ長調, op.35
2)(アンコール)藤倉大/夜明けのパッサカリア
3)マーラー(シェーンベルク/リーン編曲)/大地の歌(室内オーケストラ版)
●演奏
川瀬賢太郎指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートマスター:サイモン・ブレンディス)*1,3
篠原悠那(ヴァイオリン*1-2),福原寿美枝(メゾ・ソプラノ*3),宮里直樹(テノール*3)

9月上旬の恒例,岩城宏之メモリアルコンサートを石川県立音楽堂で聴いてきました。毎年,その年の岩城音楽賞受賞者がソリストとして登場しますが,今年はヴァイオリニストの篠原悠那さんが出演。指揮はオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)パーマネント・コンダクターの川瀬賢太郎さんでした。

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プログラムは前半,篠原さんの独奏でコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲が演奏された後,後半は室内オーケストラ用に編曲されたマーラーの「大地の歌」が演奏されました。公演前のトーク(この日は公演前に岩城音楽賞の授賞式もあったので時間調整的な意味もありました)では,篠原さんが選曲したコルンゴルトを受けて川瀬さんがマーラーを選曲したといった紹介がありました。「世紀末ウィーン」をキーワードとしてつながりのある2人の作曲家を配した絶妙のプログラミングでした。そしてその期待通りの充実した演奏&目から鱗という感じの演奏を楽しむことができました。

前半のコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は,10年ぐらい前に「いしかわミュージックアカデミー」関連の演奏会でクララ・ジュミ・カンさんと井上道義指揮OEKの共演で聴いたことがあります。OEKが全曲を取り上げるのは,その時以来だと思います。

第1楽章は,ちょっと懐かしくなるようなロマンティックな味を持った独奏ヴァイオリンのフレーズで開始。篠原さんの音は緻密で柔らかく,抑制された中に熱いロマンが秘められている感じでした。演奏が高揚してくると,篠原さんは楽器を持ち上げ,大きく後ろに反って,歌い上げるように演奏をしていました。その動作にぴったりの熱くしなやかな演奏でした。

背後に流れるOEKの演奏にも,ハープ,チェレスタなどいかにも20世紀の音楽的な色彩的な響きがあり,ファンタジーの世界へと誘ってくれるようでした。改めてコルンゴルトという作曲家の技とアイデアの見事さを実感できました。

楽章途中のカデンツァ的な部分では,息の長い歌に加えて,強靭で厳しさのある音楽を聞かせてくれました。篠原さんはカルテット・アマービレの第1ヴァイオリンとしても活発に活動されていますが,表現の幅が広く,曲想に応じた的確な音楽を聞かせてくれる方だなと思いました。楽章の最後はOEKの引き締まった音でビシッと締めてくれました。

第2楽章は,いかにも映画音楽といった感じで開始(これは良い意味です。)。シンプルで静かな音の中からは,鮮やかに映像が浮かび上がってくるようでした(暗い宇宙空間のような気もするし,広々とした草原のような感じもするし…)。独奏ヴァイオリンは非常にやさしい歌を奏でるのですが,金沢ではおなじみの渡辺俊幸さん作曲「利家のまつ」の挿入音楽などにありそうな感じ,と思いながら聞いていました。渡辺さんも間接的にコルンゴルトの影響を受けていそうですね。

その後,篠原さんの音はますます冴えわたり,熱いロマンと切なさが合わさったような感じになってきます。例えばフルートとマリンバ(?多分)が絡み合って,不思議な音世界を作ったり,この楽章でも鮮やかな幻想味を味わうことができました。

第3楽章はテンポの速い,無窮動的な音楽。こういった構成は,同じく20世紀のヴァイオリン協奏曲の傑作である,バーバーのヴァイオリン協奏曲ともよく似ています。この楽章では,独奏ヴァイオリンとOEKとが一体となって,生き生きとした伸びやかな音楽を聞かせてくれました。篠原さんの演奏は,テンポが速くても常に余裕が感じられ,そこから楽しさが湧き出ていると思いました。曲の最後の部分ではホルンや打楽器を中心に力強く盛り上がり,「冒険映画のエンディング」といった様相になりました。ユーモラスな味と力強さを感じさせる鮮やかな演奏で締めてくれました。

会場は大きく盛り上がり,篠原さんの独奏でアンコールが演奏されました。この曲がまた面白い作品でした。メロディがありそうでなく,フラジオレットのような音を含む,多彩で不思議な味わいの音と表現が詰め込まれたような音楽でした。クールだけども,どこか親しみを感じさせる抒情性もあり,アンコールピースにはぴったりだと思いました。会場入口の掲示によると,藤倉大さんの「夜明けのパッサカリア」という作品。藤倉さんの器楽曲や室内楽作品も実演で色々聞いてみたいなと思わせる演奏でした。

さて後半はお待ちかねの,室内オーケストラ用に編曲されたマーラーの「大地の歌」

もともとはマーラーの死後,シェーンベルクが13人の奏者用に編曲しようとしたものでした。ただしその計画は挫折し,1983年になって,当初の編曲プランをライナー・リーンという作曲家が引き継ぎ,ようやく完成させたというアレンジです(プログラムの飯尾洋一さんによる解説を要約)。この日の演奏ですが,使用楽器は同じなのですが,奏者の方は13人以上いました。次のような楽器編成でしたが,ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロは人数を増強しており,20名以上の編成で演奏していました。オーケストラの演奏会としては,妥当な判断だと思いました。

フルート(ピッコロ持ち替え)/オーボエ(イングリッシュホルン持ち替え)/クラリネット(バスクラリネット持ち替え)/ファゴット/ホルン/ハルモニウム(チェレスタ)/ピアノ/打楽器/ヴァイオリ1&2/ヴィオラ/チェロ/コントラバス

簡単に言うと,弦楽四重奏+木管五重奏をベースにコントラバス,打楽器などを加えた編成といえますが,ご覧のとおり木管楽器の多くは2つの楽器を持ち替えて演奏していました。非常に効率の良い編成なのですが,その分,各奏者にかかる負担は非常に大きく,体力的にも演奏はとても大変だったのではと思いました。しかし,その効果は抜群。聞いた印象は「この人数で十分かも。いや声楽中心に聞くなら,こちらの方が良いかも」と思わせるぐらいでした。

まず第1楽章「大地の哀しみに寄せる酒の歌」の冒頭のホルンを中心とした硬質なサウンドを聞いて「本物!?」と思ってしまいました。確かに音は軽いのですが,ピアノの音が威力を発揮しており,クリアで骨のある響きといった感じになっていました。オリジナルの音を尊重した見事なアレンジで,川瀬さんの作る音楽も大編成の原曲を演奏するのと同様の伸びやかさがあると思いました。

そして,この日のソリスト宮里直樹さんの声も絶品でした。若々しく,輝かしい声は威力十分。第1楽章の詩は「酒」がテーマで,宮里さんの瑞々しい声を聴いていると,どれだけ酒を呑んでも酔わない感じはありましたが,そのびんびん響く凛とした声に圧倒されました。

楽章の中間部は,テノールはお休みになるのですが,その代わりに「木管五重奏」チームが活躍。橋爪さんの演奏する,イングリッシュホルンの深い音など,テノールとは対照的な気分を感じさせてくれました。

第2楽章「秋に寂しきもの」では,メゾ・ソプラノの福原寿美枝さんが登場しました。「大地の歌」はテノールとメゾ・ソプラノの重唱はなく,交互に登場する曲なので,歌唱のない歌手は,下手側の第1ヴァイオリンの奥で待機し,出番の楽章の時だけ,指揮者の前のスペースまで出てきて歌うという形を取っていました。

この楽章は「秋」というキーワードをイメージさせるように,オーボエ
の演奏で開始。繊細さのある管楽器の演奏の後,福原さんの豊かで迫力のある声が続きました。福原さんについては,過去一度聴いたことはあったのですが,これほど深みのある声の方だとは思いませんでした。特に弱音で歌う歌詞の一つ一つに深い意味が込められているようでした。こういう表現が感じ取れるのも,室内オーケストラ版だからかなとも思いました。

この曲の時は,ドイツ語の歌詞のページを見ながら聞いていたのですが,例えば,”Mein Hertz ist mude"(わたくしの心はつかれ果て)といった部分など声が非常にはっきり聞こえ,歌詞の内容をそのまま再現したような音楽だということがよくわかりました。福原さんの詩に寄り添った,繊細な起伏を持った歌唱が素晴らしいと思いました。

第3楽章から第5楽章は,それぞれ短めの楽章になり,伝統的な交響曲で言えば,スケルツォ的な部分になります。

第3楽章「青春について」は,2楽章までとは一転して,いかにも中国風といった軽妙な音楽。ピッコロが大活躍する一方,大太鼓なども効果的に使われており,どこかユーモラスで暖かみのある音楽になっていました。落ち着いたテンポだったので,じわじわと楽しさがしみこんでくるようでした。

第4楽章「美しさについて」も中国風味のある音楽。第3楽章よりも落ち着いた音楽で,福原さんの歌と合わせて,濃厚さのある音楽になっていました。中間部は賑やかな音楽になりますが,大編成で聴くよりは可愛らしい感じで,スピード感もありました。ただし,オーケストラの音はかっちりと引き締まっており,緻密で雄弁な音楽を楽しませてくれました。

第5楽章「春に酔えるもの」では,木管楽器のパリッとしたクリアな音で開始。宮里さんの声は,「呑むぞ もう呑めないってところまで 一日まるまる ごきげんな一日!」という歌詞どおり,とても上機嫌で健康的に酔っているようなのびやかさがありました(一体,何のお酒を飲んでいるのだろう,と気になりました)。途中,「月が輝きだすまで歌う 天空の闇を照らすまで!」というあたりでは,大きく天に向かって羽ばたくようなおおらかさを感じました。
# この楽章のどこかで,コンサートマスターのサイモン・ブレンディスさんの弦が切れ,楽器の交換を行っていたようですが…プログラムの歌詞を見ていたせいで,見逃してしまいました。

第6楽章「告別」は全曲の半分ほどの長さのある長大な楽章。まずピアノと銅鑼とコントラバス(多分この3つの楽器だったと思います)が合わさった凄みのある音で開始。それがゆったり繰り返される上に橋爪さんのオーボエの冴えた音が不気味なモチーフを演奏します。このフレーズがこの楽章を通じて,何回も出てきて,だんだんと死が迫ってくるような迫力を伝えていました。銅鑼が出てくるので,チャイコフスキーの「悲愴」交響曲の最終楽章に通じる部分もあるし,シューベルトの歌曲集「冬の旅」の終曲「辻音楽師」(OEKの専売特許である,鈴木行一さんによる編曲版の雰囲気)の気分もあると思いました。この楽章でも各種木管楽器が大活躍で,寂しげな気分を伝えたり,優しさが戻ってきたような気分を伝えたり,歌詞にしっかり寄り添った音楽になっていました。

福原さんの声は,ますます深みを増すと同時に,歌詞に応じて表情を変えていました。「この世は眠りにおちる!」という歌詞の部分での不気味さが非常に印象的でした。反対に「琴を抱えて,あちらこちらへ わたしは小径をさまよい歩く」の歌詞の部分では,のびのびとした音楽になっていました。

その後の間奏的な部分では,橋爪さんはイングリッシュホルンからオーボエへと持ち替えながらでの演奏。室内オーケストラ編成だと,気分の変化がより鮮やかに分かるのではと感じました(ただし…私自身,フル編成で「大地の歌」の実演を聴いたことはないので推測です。実演だからこそ味わえる臨場感があるのは確かだと思います)。

楽章の終盤は,意外に明るい雰囲気になります。「故郷へ歩いてゆく わたしの居場所へ!」の部分での福原さんのびんびと響く声にはクライマックスに相応しいスケール感がありました。そして,最後の「遙かな彼方が蒼く光る 永遠に…永遠に!」の部分の素晴らしさ。チェレスタの音が聞こえてくると,音楽全体の透明感が増し,明るい天国に近づいていっているような気分になりました。

今回の演奏は,2人の独唱者の非のうちどころのない声を中心に,オーケストラ全体が総力を挙げて,マーラー晩年独特の「死」を強く意識させるような深い世界を非常に雄弁に描いていました。室内オケ編成ならではの鮮やかな音の連続でした。特にソリストのように大活躍していた管楽器メンバーが素晴らしかったですね。皆様にブラーヴォという感じでした。

実は「大地の歌」は少々苦手な曲だったのですが,今回のような透明感のある演奏で聴くと,非常に分かりやすい音楽に感じました。この曲を選曲し,見事にまとめた川瀬さんも素晴らしかったと思います。大満足の公演でした。と,同時にマーラーの他の交響曲についても,「室内オケ版」で聴いてみたいと思いました。

岩城メモリアルにぴったりのワインが飾られていました。
例年通り,ステージ上には岩城さんの肖像写真が飾られていました。
ホールの通路には「金沢おどり」のぼんぼりも登場
音楽堂前にはコーヒー販売の車が来ていました。

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