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大石芳野写真展「戦世(いくさよ)をこえて」(ミュゼふくおかカメラ館,2023年8月19日)

少し前のWebのニュースで,オーケストラ・アンサンブル金沢の第1ヴァイオリン奏者のトロイ・グーキンズさんが,ミュゼふくおかカメラ館で演奏会を行ったという紹介記事を見て,写真家の大石芳野さんの展覧会を行っていることを知りました。次のような記事でした。

期間は8月20日までで,その前日(19日)には,大石さん自身が来られてギャラリー・トークも行う…ということで「これは行くしかない」と思い立ち,出かけることにしました。

ミュゼふくおかカメラ館については,名前は聞いたことはあったのですが,実は博物館だとは思っていませんでした(何となく「カメラ関係のお店かな」と思っていました)。場所を調べて見ると,小矢部にあるアウトレットの近くで,金沢からは高速道路を使わなくても気軽に行けそうだと分かりました。

今回の写真展「戦世(いくさよ)をこえて」は,写真家,大石芳野さんがこれまで世界各地で撮影してきた,20世紀以降の戦争の被害者,遺族,被害の残る場所等の写真をキャプション付きで紹介するものでした。戦争や場所ごとに写真は展示されていたのですが,ベトナム,アフガニスタン,コソボ…と淡々と続く写真を見ながら,人間の愚かさの歴史が今に続いていることを改めて痛感しました。

作品の写真については,「写真1枚だけを撮影するのはNG]で,風景として写真を撮影するのはOKだったので,展覧会の雰囲気を紹介するために,以下何枚かご紹介させていただきます。

今回の大石さんによるギャラリートークは,展示写真とほぼ重なっており,それらをスライドで投影しながら,大石さんが説明をするというスタイルでした。大石さんの写真自体は,人物については,真っすぐに撮られた,どこかストイックな感じのするポートレートが多いのですが,大石さんの説明を聞きながら,どの人,どの写真にも悲しいストーリーがあり,話を聞きながら圧倒される思いでした。

この場所でトークがありました。トロイさんが演奏した場所と多分同じだと思います。

トークは,写真の展示同様,場所ごと戦争ごとに,静かにしっかりと語られました。静かに語るほど,写真の真実味が増すと感じました。全体を通じて「戦争で家族を失った子ども」の写真が多いことが印象的でした。大石さんは,その一人一人の名前をしっかりと記憶されており,写っているいる人物だけではなく,写真を撮影した大石さん自身のの悲しみが染み渡るように伝わってきました。

以下,トークに出てきた話題の中から印象的だった部分を紹介したいと思います。こうやって見ると,大石さんの写真家人生の総決算のような内容だったのではと感じました。

ベトナム
ナパーム弾(日本では焼夷弾と呼ばれる)で子どもが大勢なくなった。
枯葉剤によって壊滅した森(1本だけ木が残った写真)がある。遺伝子を傷つけるため,今でも人にも後遺症が残り,土地はやせたままである。

とても変わった構造の建物でしたが,設計者は安藤忠雄。石川県西田幾多郎記念哲学館と同じですね。実はこの両館,車だととても近いので(30分かからない?),両館をハシゴするのもありだと思いました。

ラオス
アメリカから見ると「なかった戦争」
クラスター爆弾(ある回転数を超えると爆発するもの)が地雷として多数残っており,後処理が続いている。
大石さん自身,ギリギリのところで運よく踏まなかった経験があるとのこと

カンボジア
1975年から数年のポル・ポト政権時代,全く外部に情報が出てこなかった。
人民がポル・ポト派と反ポル・ポト派に分断され,多くの人が殺害された。子供たちも少年兵にさせられていた。
# この時代,色が禁止されており,みんな黒い服を着ていたというのが衝撃的でした。

アフガニスタン
1979年,隣人を助けるという名目でソ連が侵攻し,10年間戦争が続いた。
タリバン政権中は女性は入国できなかったが,2002年空爆中でタリバンがいなかったので入ることができた
# 学校に行けるようになった子どもの明るい表情の写真が印象的

コソボ
セルビア武装勢力(軍+警察等)による民族浄化的戦争

その後は,第2次世界大戦に関する,次のような場所・被害者・遺族の写真の紹介。
ナチス:アウシュビッツ
中国:731部隊
広島:日本の毒ガスの70%を作っていた島の写真+原爆の被爆者の写真
# 差別を恐れて,撮影拒否した人も多数居たとのこと。差別をしている私たちも加害者という言葉が印象的でした。
長崎:浦上天主堂が広島の原爆ドームのように残されていたら…。長崎では遺構が出てきても残さないできた。国連で核兵器反対を訴えてきた被爆者の背中の写真
沖縄:自分たちが隠れていることを知られないため,日本軍の指示で自分の赤ん坊を殺さないといけなかった母親の話…。命の重さは数字ではない。数字を石として具体化して次世代に伝えるイベント「石の声」の写真

最後は富山大空襲の関係者のスライドで締められました。1945年8月2日の富山大空襲で富山市の大半は焼失したのですが,そのことについて研究されている方,物語や詩を残している方についての紹介がありました。

というわけで,ギャラリートークと書いてあったので,30分程度かなと予想していたのですが,何と2時間以上休憩なしでお話が続きました。大石さん自身,若い時は自分には色々な可能性があると思い,本当に写真の世界で良いのか揺れ動いていたそうですが,ベトナムに行って,これを残さないといけないと思い,その後,ずっと世界各地の戦争の記録を残してきたとのことです(この辺は記述は不正確かもしれません)。

今回の展示は180枚程度に絞ったとのことですが,その長年の活動のすごさに圧倒されたトークでした。そして,現在の年齢を聞いてさらに驚きました。全く変わらずにお元気ですね。ここ数年,コロナ禍で全く動けなかったのが非常に悔しかったと語っていましたが,これからも地道に活動を続けていかれるのではと感じました。私自身にとっても,忘れられない時間になりました。

予想では15:30頃には終わるかなと思っていたのですが,終了したのは16:15頃。18:00から金沢で別の予定があったので,大石さんの著書(売り切れ続出でした)に無事サインをいただいた後,慌てて戻りました。今度来るときは,もっとゆっくりしていきたいなと思いました。

こちらはWar and Cameraという展示
今回は残念ながらゆっくり見る時間がありませんでした。

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