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グレーと矛盾とグラデーションと。

20代の真ん中くらいまで
白黒はっきりすることが
正義だと思っていた。
し、
それがエネルギーでもあったような
気もしてる。
生きたり、作ったり、考えたり
乗り越えたりする
エネルギー。

でもいろんなところに
矛盾が生じてきて
最初は見て見ぬふりを決め込んで
白と、黒と、
好きと、嫌いと、
正義と、悪だと
思ってた。

それでも
好きでも嫌いでもなく
正義は悪だったり
絵の具の黒は
黒じゃなかったり

見て見ぬふりが
できなくなってきて

立ち止まって
考えた。

矛盾のない世界なんて
あるんだろうか。
矛盾しない人間なんて
いるんだろうか
矛盾を許さずに
生きていけるんだろうか。

矛盾を許さずに、
私は、生きていけない
と気づいた。
矛盾してることを
見て見ぬふりするんじゃなくて
矛盾することが
当たり前なんだって
矛盾が
正しいんだって
わかった。

矛盾を許せなかったら
私、生きるの、
とても苦しいと思う。
あるいは、
生きていけないと
思う。

矛盾が
平衡だって
私の中で解決されたとき、

正義も悪もなくなって
好きも嫌いもどっちでもよくなって
黒と白なんかじゃなくて
ぐるっと1周する色相の
どこかに
みんなはいるんだって
みえてきて

それから生きるのが
とても楽しくなった

矛盾的平衡の中で
生きていくには

・ルールは極々最小限
(な上に例外を認めること)
・えこひいきは全員にする

という
もわーっとした考えをもって
生きたり、仕事したりしてる。

今日のルールは
明日には向いてないかもしれないし
この子へのルールは
あのこには向いてないかもしれない。

あのこにしてあげたいことは
このこには必要ないことだし
このこにあげたいものは
あの子の嫌いなものかもしれない

みんなが平等で
みんなが同じルールにのっとるのは
集団でいるときに
確かに必要だと思う。
でも
ベストを狙ったルールは
きっと
だれのベストにもならなくて
ベターを狙ったほんのちょっとの
極々限られたルールが
みんなのベターに
なるんだと思う。
そして、
そのベターなルールさえも、
例外があっていいはずで

ベターなルールのゆるさで
その日
そこにある状況で
みんなで
ベターに過ごせるのが
いいんだろうと思いながら

日々
矛盾と共に
生きている

あのこには
あのこの
このこの今日には
この子の今日だけの
そのこのここには
そのこのここだけの
理由があって

それが矛盾していたとしても
その理由を
知って
受け入れたり
対話したりしながら

みんなが
それぞれ違うままに
それぞれらしく
いられるように

出会ったこを
みんな
えこひいきして
これからも
楽しく
生きていこうと
思うんだ

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