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構図デッサン ~お絵描き手順の条件分岐~

TOPICS|演出意図でなく描画手順で構図を分析。理屈で描くシチュエーションと感覚で描くシチュエーション|



描写ではなく描画する技術を知りたい

現在の研究テーマであるお絵描きのメカニズムについて執筆しているとき、図解を作成することにつまづきました。この時やろうとしていたのは、作画に使われる絵の記号をカテゴライズして、個々の記号の使い方を実演するつもりでした。しかし、記号の使い方は理解できているのに、記号を使うための解説用の画像の適切な構図がなかなか思いつきません。どういう構図ならパースを測定する全ての記号を盛り込んで解説できるか、2点透視なのか3点透視なのか、被写体は何か、被写体の捉え方はアップなのかロングなのか、考えるだけでも無数の構図のパターンが思い浮かびます。

ここで求められているのは「何をどのように描写(Depiction)するか」という「表現技術」の視点で扱う構図ではありません。お絵描きのメカニズムにおいては、まずは「何をどのように描画(Drawing)するか」という「描画技術」を具体的な手順として明らかにすることが目的です。そのためにはお絵描きの記号の図解から離れて「構図とは何か」についてもっと根本的に考察すべきだと考えました。

表現技術と描画技術の違い


遠近感の描画手順で考える構図

お絵描きのメカニズムでは、「遠近感」と「立体感」を描画する絵の記号のカテゴライズを行っています。その中の「遠近感」の記号が適用可能かどうかは「構図」の状態によって分岐します。簡単に言うと、透視図法でどこまで描けるかという基準です。一般に、人体デッサンにおける補助線やパーツ形状などは「立体感」を描画する絵の記号です。一方で、その絵の空間を撮影しているカメラの画角やアングルや立ち位置などを設定する記号(手法)は「遠近感」を描画するためのものです。

遠近感と立体感の違い

この「遠近感」を規定する要素である「画角」とは、つまり視野に収まる空間の範囲、言い換えれば絵として切り取るフレームの存在を示唆しており、構図と遠近感が相互に影響し合う要因となります。そのフレーム内の「空間の遠近感」を規定するカメラの画角とアングルという2つの角度は、特定できる場合とできない場合があるので厄介です。特定できる場合は、予めカメラの数値的な設定が決められている場合と、画面内の被写体の立体感の情報から遠近感を規定する画角を逆算できる場合です。特定できない場合とは、カメラの設定が未定のまま描き始めた場合と、それに加えて画面内から遠近感を測定するための十分な情報が得られない場合です。

この「遠近感を測定するための十分な情報」とは、消失点の位置を特定できる稜線の方向と、被写体の奥行きの長さと縮小具合が分かる稜線、このいずれかです。この2つの情報に展開できるような稜線が被写体に隠れて見えなかったり、そもそも被写体が一部しか画面内に収まっていないとき、そのままでは「遠近感」の記号を適用する準備が足りません。このように、描画の記号が適用できない場面があるため、そのことを事前に察知して適切な描画手順を計画する技術が必要となります。

そして、完成図の印象ではなく、完成させるまでの手順に主眼を置いて計画します。例えば、①「遠近感」の中に「立体感」を配置して「構図」を作るのか、②「立体感」の配置で作った「構図」から「遠近感」を読み取るのか、③「遠近感」の誤差がバレにくい「構図」のとき「立体感」を平面的に重ねて配置するのか、など。これら全てを構図デッサンの描画手順という基準で分類しておけば、作画手順を瞬時に計画できるようになり、また作画に必要な情報(稜線や消失点)が不足して手詰まりになるというミスも回避できるようになります。



そもそも構図とは

「構図」という概念は、フレームで切り取った空間の遠近感を測定し、そこに立体感を持つ被写体を配置すると必然的に発生します。つまり構図とは、何かを表現するために画面内(フレーム内)に被写体(人物や背景)が配置(レイアウト)された状態を指す言葉です。そして「構図デッサン」とは演出意図を踏まえた被写体の「写し方」と「映し方」を試行錯誤する描画行為です。「写し方」とは空間上の被写体の捉え方のことで、「映し方」とは画面上の被写体の配置の仕方です。このように構図の構成要素を特定して、それらを基準にカテゴライズすることにします。

「写し方」と「映し方」の違い

まずは構図の状態を把握するにあたり、空間内に配置された被写体をどこからカメラで撮影するか(写し方)については「空間レイアウト」、カメラで捉えた映像が画面上でどう見えるか(映し方)については「画面レイアウト」、この2つのレイアウトを照らし合わせながら理解を深めていくことになります。一旦ここまでの用語を整理すると、「遠近感」と「立体感」の記号を適用する「構図」は、「空間レイアウト」と「画面レイアウト」を照合して設計することになり、この作業の具体的な手順と判断基準を検証するのが今回の課題です。とりあえず今回使用する用語の一覧を載せておきます。

構図デッサンに関する用語の整理

寸法情報の必要性

寸法情報が必要なシチュエーションはあるのか

構図のカテゴライズ作業の前に、描画作業に深く関わる「寸法情報」の取り扱いについて理解しておく必要があります。例えば、人物画であれば解剖図やキャラ設定資料を参考にすればプロポーションを知ることが可能です。同じように車、建築、メカ、家具などは工業製品としての図面を見れば正確な寸法を知ることが可能です。普段は寸法情報などあまり気にしていないと思いますが、それは描き慣れた被写体しか描いていないから、もしくは適当な寸法で描いているからです。しかし、これまでに一度も描いたことのない被写体、例えば「車内で会話する2人」という構図や、江戸時代の街並みなどを適当に描いたとしたら「広すぎる」や「狭すぎる」といった違和感が発生するはずです。説得力のある絵を描くために被写体の寸法や形状は知っておいて損はないと言えます。

とはいえ、数値的な寸法情報に縛られ過ぎても作画効率や見栄えを悪くする原因になることがあります。特に被写体を望遠画角で写す構図では、カメラアングルが1°変わるだけでもの被写体と背景の位置がかなりズレます。しかし、望遠レンズだからこそ検知できるデリケートな位置関係は人間の感覚で検知できないため、そこまで数値的寸法に忠実に描画しなくとも違和感は発生しない(バレない)ということです。つまり、数値的な寸法を知っているに越したことありませんが、シチュエーションによっては正確な寸法を守る必要はないということです。

ちなみに、構図デッサンの描画手順は「かさ遠近法」と「線遠近法」に分岐しますが(後述)、それは前者のような数値的寸法が重要で無い場合と、後者のような数値的寸法を活用した方が効率的な場合とを見分けるためですが、いずれも背景は寸法情報に忠実でなければならないという意味は含んでいないことに注意してください。重ね遠近法とは、平面的な背景画を重ねたときの前後の配置で遠近感を表現する手法で、画面レイアウトの見栄え優先で配置を決めるので数値的な寸法情報などあって無いようなものです。また線遠近法についても、日常的な目線高さや距離といったサイズ感に違和感さえ残さなければほぼ自由な画面レイアウトを描けるし、背景は部分的にしか画面内に収まらないので数値的な寸法情報に忠実に作図したところでその努力に気づいてくれる鑑賞者はいないでしょう。結局は背景が数値的な寸法情報に忠実であるべきシチュエーションは滅多にないと言って差し支えないでしょう。

法情報の本質とは

ただし「被写体の数値的な寸法情報」の需要がないというわけではありません。数値的寸法に忠実であるべきシチュエーションが少ないだけで、「補足的」に利用するという需要は常にあります。例えば、部屋の中の構図を描くとき、キャラの目線と家具の高さの自然なバランスや、日常生活として自然な立ち位置などといった「日常的な目線や距離感」の整合性くらいは保つ必要があるため、画面内の被写体の数値的な寸法情報からパースを展開して距離を測定するための知識が必要となります。そのような測定作業の知識としては「対角線分割法」「D点法」「M点法」などがあります。このように、寸法情報には「被写体の数値的な寸法情報」と「日常的な目線や距離感」があり、「距離感」を測定するための基準として「数値的寸法」を利用するという関係にあると覚えておきましょう。

この2つの寸法情報は組み合わせて利用することが好ましく、単独で利用すると上手く機能しない可能性が高くなります。数値的寸法のみを頼りに作画すると、機械的で見栄えの悪い硬い絵になります。距離感のみを頼りに作画すると、見慣れない被写体の大きさを間違えて作画崩壊を起こします。寸法情報とは理屈と印象のバランスを調整する基準なのです。

2種類の寸法情報

例えば、建築パースにおいては建築の全体像を俯瞰できる必要があり、そのような目線は日常にはないものです。このような描画は安定感がある反面ルールに縛られる傾向があるので「作画」ではなく「作図」と言うべきでしょうか。また、これと同じ方針でエンターテイメントとしての絵を描こうとすると線遠近法を適用することになりますが、空間全体を客観的に観察するような非日常的な目線になり、場合によっては物語の邪魔となる違和感が発生します。逆に、初めから日常的な目線を意識してラフレイアウトを描くには融通の利きやすい重ね遠近法で対処しますが、空間全体が俯瞰できない構図となり、パース作画に必要な情報が不足しやすくなります。

このように、数値的寸法に忠実だと非日常的な構図になり、日常的な構図にすると数値的な寸法情報が不足するという、「寸法精度」と「見栄え」のジレンマは常に付いて回ります。しかし、2つの寸法情報組み合わせて「測定すべき部分」や「抽出すべき寸法情報」は、そのとき適用した描画手法によってある程度は特定できるものです。そこを見極めるのが構図デッサンの目的です。


最も欲しい寸法情報は「レイアウトの土台」

2つの寸法情報を駆使すれば、部分的な「数値的寸法」から「日常的距離感」を測定できて違和感のない被写体配置ができます。「日常的距離感」は最終的な目標配置で、それを裏付ける基準が「数値的寸法」であると言えます。いくら数値的寸法に忠実に配置しても、鑑賞者がその絵から数値そのものを感じることはあり得ないため、鑑賞者は配置に違和感がないかという評価のみを行います。絵が人に見られて違和感のない配置であればよく、すなわち作者は「日常的距離感」を再現するためにのみ尽力します。

このように、最終的な目標である「日常的距離感」に辿り着くための「数値的寸法」を調査や抽出により入手しますが、これが初めから用意されているシチュエーションもあります。それは、室内空間の寸法を数値的に表した「間取り図」や、テーブルやソファといった家具の「設計図・寸法図」などが分かる場合です。これらをパースに乗せてアタリ線として作図しておくと、そこで生活するキャラの位置を特定できるようになります。よく平面図を床や壁にテクスチャのように作図しておき、そこから立体を押し出す手法が実用的であるという話を聞きますが、その平面図を作成する作業がすなわち「数値的寸法」で「日常的距離感」を測定する作業です。

この間取りの平面図は、被写体配置に必然性が求められる構図における「必然性」の正体です。絵の鑑賞者は一般住宅の部屋の間取りについて知らないはずがないので、下手に作図すると間取りがおかしいということがバレてしまいます。一般住宅のシーンを描くには、間取りを土台にして被写体を配置する必然性(答え)があるということです。もしこの平面図が事前に作品設定資料などで定められている場合、平面図を空間パースに乗せて作図した土台の上に作図するだけなので、M点法や対角線分割法を駆使して簡単に空間測定することができます。つまり、構図デッサンは「被写体配置の土台」さえ分かれば簡単に作画を進められるわけです。それが分からない場合は、止むを得ず2つの寸法情報から被写体の配置を調節する手間を取っているのです。寸法情報が初めから用意されているか、自分で生成するかの違いだけです。


数値的寸法厳守によって発生する違和感とは

ちなみに、これは憶測ですが、違和感のない配置を描くときでも数値的寸法(間取り)に忠実で構わないと思います。間取りの通りにキャラを配置してポーズやアクションになどの演技させるとき、その間合いだからこその演技をさせれば違和感は発生せず、いわゆる硬い絵にならずに済むのだと思います。例えば「立ち話をする2人」という構図を描画するとき、間合いだけみれば離れすぎているように見えても、キャラ同士の演技が離れていることを感じさせれば全く問題はないと判断できます。透視図法を使うと絵が硬くなるという話に対して、その原因は透視図法で描画した間合いに適した演技ができていないか、その間合いが日常的距離感に反しているのではないかと提言しておきます。

または、日常的距離感との相違点が検知できないよう望遠画角で描画するという回避技もあります。数値的寸法に忠実な手法の透視図法は優秀なツールで、これに理論的な間違いがないことは断言できます。透視図法を使った絵に違和感が発生した場合は、その間合いに被写体が馴染んでいないことと、その間合い自体が演出に適していないことを疑いましょう。


寸法に関する用語の使い分け

ここまでで「寸法」と名のつく言い回しがいくつか登場しましたが、一応は細かい意味付けがされています。混乱を避けるために使い方を一覧しておこうと思います。基本的には精密な「数値的寸法」のことを指しますが、単に「寸法情報」や「距離感」と言う場合には感覚的な見方を指します。ただし数値的寸法は、硬い絵になることを避けなくてはならない構図デッサンで利用できる機会は限られます。被写体のディテールを描き込む段階ではその形状の再現性を確保できる強い味方となりますが、画面レイアウトを設計する段階では「数値的寸法」より「日常的距離感」の方が重要となります。その「日常的距離感」の測定に被写体のディテールの寸法が利用できるとき、その「数値的寸法」から背景パースを展開させて「日常的距離感」の土台にする、というような2つの寸法情報の関係を理解した上で用語の使い分けをすると誤解を避けられると思います。

また、「数値的寸法」と「日常的距離感」の実作業での使われ方にも触れておきます。構図デッサンでは「日常的距離感」を基準として画面レイアウトの設計や分析をします。具体的には、「日常的距離感」をどこまで把握できるか、把握したものでどこまで描画可能か、ということが重要となります。そして、「日常的距離感」の補強として「数値的寸法」を利用することも、実際に補強作業を行うわけではなく、描画方針に組み込めるかを想像上で検証するだけです。実作業として実際に「数値的寸法」を使用するのは「描画方針の分岐」の次に行う「描画手順の計画」に取りかかってからで、すでに構図デッサンの領分を出ています。描画手順に組み込む絵の記号のカテゴライズについてはお絵描きのメカニズムの方で研究しています。要は「数値的寸法」は「描画手順」の中で「測定記号」のパラメータとして使用されるということです。

寸法に関する用語の使い分け



被写体と背景の区別

実は背景も被写体の一部だった

言い換えれば、背景とはカメラの視野に収まらない巨大な被写体です。普通はカメラの視野に収めることを「写す」といい、被写体の大きさよりカメラの視野を広く設定するものです。しかし、主役ではない背景はカメラの視野に収まる必要がないため、カメラの視野より背景の方が大きいことが普通です。そして「映り方」としては、被写体については立体の表面が、背景については視野を包み込んでいるため立体の内側が画面に表れることになります。例えば、部屋の中や街並みなどの背景は、「部屋」という箱の中や「街」というジオラマの中にカメラを設置したとき、箱やジオラマの内側から見た風景が映し出されます。つまり、大きさの順位をつけるなら「被写体 < カメラ視野 < 背景」ということになります。


単純化した空間レイアウトの背景は「書き割り」となる

果たして、一枚の絵から立体の内側を見ているという感覚を覚える鑑賞者はいるのでしょうか。背景がカメラの足元まで含め一つながりの立体で、キャラの立ち位置から推測するに背景の配置が数値的な寸法情報に対してズレている、などと気づける鑑賞者はまず存在しません。なぜなら、その絵に映っている背景の数値的な寸法情報が分からないと正確な配置を判断できるわけがなく、作者ですら調査しなければその寸法情報を把握できないからです。ほとんどの場合、鑑賞者にとって絵の背景はただの一枚の風景画という認識で、立体の内側や外側などという複雑なものではなく、メインの被写体の後ろに立っている風景の描かれた立て札(書き割り)程度の存在です。特に望遠画角の構図だと、背景の立て札とキャラとの距離が何mかなど興味すら持たれません。

書き割りの写真(出典 さみどり幼稚園 園長ブログ

書き割り」とは、映画撮影や舞台演劇の背景美術としてベニヤ板に風景画を描いておき、立てて配置する舞台装置のことです。予めベニヤ板に描くということは本来なら、その絵のアイレベルや消失点の位置は、舞台装置を撮影するカメラの画角と一致させる必要があります。ただ、このように一致させないと違和感が発生するシチュエーションは、鑑賞者が「数値的な寸法情報」や「日常的な距離感」を画面内の情報から評価できるときだけなので、鑑賞者にバレにくいシチュエーションであれば許容できるということです。特に前述の通り望遠画角の絵では、望遠レンズだからこそ検知できるデリケートな位置関係は人間の感覚で検知できないので、完璧にパースが正しくある必要はありあません。望遠パースの絵は距離間が掴みにくいという特性を逆手にとって、「書き割り」には奥行きの圧縮された平面的に近い背景画を描けばいいということです。大抵はこれで対処できます。


空間レイアウトの3景分割 〜近景・中景・遠景〜

背景を書き割りとして捉えて構図を設計するメリットは、空間レイアウト上で「メインの被写体」と「背景の収まり」の両方が映える配置を試行錯誤する際に扱う情報量の削減ができることです。例えば、普通に考えると空間レイアウトは背景とは無数の立体の集合体としてイメージされるはずです。その空間レイアウト上にカメラを配置して、カメラの視野に収まる範囲を画面レイアウトに反映させるとき、映り込む被写体の前後の重なりまで処理しなくてはならないため複雑な作業を強いられます。そこで、まず空間レイアウトを「近景」「中景」「遠景」に分割して3層のレイヤーとして捉えることで、本来なら無数の立体の集合体だった背景を単純化できます。「近景」はメインの被写体(立体)、「中景」はサブの被写体(立体)、「遠景」は背景に該当し、このとき望遠画角で作図される「遠景」を書き割りとして配置します。

要は、空間レイアウト上で「遠景」として処理する範囲を判断し、「遠景」に属する範囲の空間を一枚の風景画(書き割り)と見なすということです。特に望遠画角における「遠景」は画面内の位置関係の誤差が人間の感覚では気にならない空間のことを指すので、映画的な臨場感のある構図との相性の良い手法です。望遠画角で描かれる範囲は画面内の位置関係をデリケートに扱わずに済み、それならば背景を書き割りとして捉えると扱う情報量が3層のレイヤーだけで済み、画面レイアウトの試行錯誤が楽になります。

逆に言えば、鑑賞者が数値的寸法の精度を評価できるものが映る場合は、数値的寸法情報に従って描画しておく方が無難です。例えば、日常的に目にしているものであったり、常識で考えれば判断できる間隔であったり、全体を俯瞰して見られる構図などを描画するときは、鑑賞者が空間寸法の正しさを評価できる条件が揃っているので、その場合は「被写体の数値的な寸法情報」と「日常的な目線や距離感」を駆使して可能な限り忠実かつ意図的に描画します。

また、画面内に2つの寸法情報を適用できるヶ所が見当たらない場合、空間レイアウト上でザックリとした位置関係を測ることがあります。このときに、カメラを設置した空間レイアウトを3景分割する構図の設計方法が役立ちます。空間レイアウトを3景分割する手法は、理屈で対処できないシチュエーションをやり過ごす最後の砦です。この手法の使いどきは、①鑑賞者が日常的な距離感の誤差を評価される心配がない場合、②望遠画角で位置関係の誤差が人間に検知できない場合、③画面内で2つの寸法情報を適用できない場合、などがあります。この最後の砦「空間レイアウト3景分割(仮名)」という手法は後ほど解説します(下ツイートはそのイメージ)。



構図デッサンの「4つのシチュエーション」と「描画方針の分岐条件」

ここまでで登場した言い回しを意訳し、同じ意味合いのものを統一することでシチュエーションを絞っていきます。様々な言い回しを使用して解説してきましたが、それはなるべく多くのシチュエーションを回収するためです。同じ意味合いのものでまとめると、たった4つのシチュエーションしかないことが分かります。これが構図デッサンの描画方針の分岐の判断材料となります。

4つのシチュエーション

構図というと、登場人物の上下関係や心理状態などを、フレーミングや立ち位置によって分類するものをイメージすると思います。しかし、ここでは単に描画手順の違いで分類します。つまり、キャラがどのように映ってようと関係なく、どのような意図が込められていようと、描画過程で使用する絵の記号や手法の組み合わせで構図を分類していきます。一般に言う構図を鑑賞者がどう受け取るかという「表現技術」で考える構図とするなら、ここでいう構図は作者がどのような手順で描くかという「描画技術」で考えます。

そして、分岐の判断が必要となるシチュエーションは4つに絞られているので、そこから描画方針の選択と描画手順の設計に移ります。まずは、「構図の描画」に必要な「寸法情報の有無」によって「描画方針」を選択していきます。基本的には、ある構図の絵を描こうとするときにどこで手詰まりになるかという問題点(主に寸法情報の有無)を特定し、その問題を解決する手法が何であるかを分岐条件の判断材料とします。そして、その手法で問題解決できるかどうかの検証結果がtrueならその分岐条件を満たす描画方針を採用し、もし検証結果がfalseなら次の分岐条件を検証していきます。描画方針が決定した時点から、「被写体の描画」に必要な「手法や記号の組み合わせ」によって「描画手順」を計画していきます。

大まかな流れをまとめると、構図デッサンとは、構図の状態に対して2つの寸法情報がどれだけ活用できるか、適用できる寸法情報の状態で分岐条件を検証、分岐条件の検証結果にて描画方針を選択、描画方針を指標として絵の記号や手法を組み合わせて描画手順を計画、という思考過程による描画行為となります。

描画方針と描画手順の違い


分岐条件1 「空間レイアウト上の配置の必然性」

それでは何か絵を描こうとしているシチェーションを想像してみましょう。まず最初に何につまづきますか?おそらく、まずは被写体のフレーミングが決まっていないことに着目するはずです。そして主役の被写体のフレーミングが決まれば次は空白のスペースに他の被写体を配置して画面レイアウトが決定しますが、その瞬間に被写体同士に相対的な位置関係が発生します。このとき初めて空間レイアウトが構築され、物語において画面上の配置と空間上の配置のどちらが重要なのかの判断に迫られます。判断基準としては、被写体の配置に物語進行や日常生活的な必然性があるか、それとも画面上で見栄えの良いフレーミングであれば許されるか、などです。もし画面レイアウトの方が重要なら、空間レイアウトと矛盾しようとも画面上での見栄えを優先して被写体を配置します。これが最初の分岐条件となる「空間レイアウト上の配置の必然性」です。

単に「向かい合って会話をする2人」という構図では、その行為が伝わりさえすればいいので空間上のどこに立っているかは重要ではないと言えます。この場合は、画面レイアウト優先の重ね遠近法で被写体を配置すれば構図が完成します。逆に、空間上での被写体の配置に意味があるとき、例えば「車内で会話する2人」という構図を描くには座席という明確な位置関係の土台があるため、その土台を崩さず画面上でのキャラの配置を考える必要があります。このように、被写体があるべき位置にないと違和感を覚える構図では、空間レイアウト上の配置の必然性が発生します。被写体の位置関係や寸法情報の「必然性」の有無は、基本的には鑑賞者に違和感を察知されるかどうかを基準にし、その違和感の有無の基準となる「被写体の配置の土台」となるものが「具体的な物体」または「常識的な感覚」として存在するかどうかで判断します。そして、「空間レイアウト上の配置の必然性」がある場合は次の分岐条件の検証に進み、もっと明確な情報整理を行います。


分岐条件2 「パース作画が画面内で完結するか」

空間レイアウト上の配置の必然性があると判断された場合、その配置を画面レイアウト上に再現する手段を計画しなくてはなりません。これについては全てが透視図法の手法で解決しますが、そのためには背景や被写体の数値的寸法か、もしくは各被写体のサイズ感や日常的距離感、すなわち「被写体の配置の土台」の具体的な形状を把握しておく必要があります。前者の寸法情報とは、室内であれば間取り、機械や家具などであれば工業製品としての設計図、地形であれば地図など、誰が見ても正確な寸法を知ることができる「客観的な」寸法情報のことを指します。後者のサイズ感とは、数値的な寸法が把握できなくとも日常的な常識で考えれば判断できる大きさのことで、例えば椅子や机は人物に対してどれくらいの高さか、部屋と人物のサイズの比率、会話するときの2人の人物の適切な間合いなど、「主観的な」寸法情報のことを指します。

当然ですが、数値的寸法やサイズ感や距離感のいずれもが分からないということは、奥行き方向の作図を行うための基準が無いということで、いくら透視図法をマスターしていても描画対象の形状が曖昧では正確に描けません。しかし、それらの寸法情報が画面レイアウト上のみで扱える状態として入手できるか(視認できるか)どうかが問題で、それが次の分岐条件となる「パース作画が画面内で完結するか」です。

ここで「空間レイアウト上の配置の必然性」のある場合の構図デッサンについて考えてみましょう。まず、空間全体を俯瞰するような構図であれば被写体の全体が画面内に収まっているので、建築パースのように機械的な手順で作画できます。また、被写体のアップの構図で空間全体が見えなくとも、画面内に収まっている部分から寸法情報を派生させて空間パースを展開できれば、それもまた画面内のみで作画が完結させられます。しかし、被写体アップかつ空間全体が俯瞰できない構図で、さらに数値的寸法や距離感を把握する情報も得られない場合、それでも画面内だけで作画しようものなら曖昧な感覚で対処するしかありません。つまり「パース作画が画面内で完結」しない場合は、次の分岐条件の検証に進むべきだということになります。


分岐条件3 「画面外に有用な寸法情報が埋蔵されているか」

寸法情報不足による曖昧さを回避するには、画面内にある断片的な寸法情報を補填するために、画面外の空間の寸法情報から画面内に空間パースを展開する他ありません。では、画面外の状況を把握する方法はどうするかというと、描こうとしている構図の縮図を描いて画面外まで延長して作画すること、名付けて「縮図レイアウト」です。これはつまり、カメラの視野を意味するフレームを取っ払うということで、これによりいかなる構図も力技で「空間全体を俯瞰できる」構図として扱えるようにするということです。空間全体を目視できるようになれば、画面内の距離感の見た目に違和感がないかという重ね遠近法だけでなく、数値的寸法による線遠近法を使用できるようになります。

ただし、画面外まで作画範囲を広げるにしても、どこまで広げるかという明確な標的を設定しないとイタズラに作画の手間を増やすだけです。明確な標的とは、カメラの画角とアングルを逆算できる情報、被写体の奥行きの長さや縮小具合が分かる情報、などを含むパース線や稜線や交点のことです。具体的には、キャラの足元の位置、地面か壁にある正方形、数値的寸法の分かる被写体の全身、などです。ちなみに、これらは「数値的な寸法情報」や「日常的な距離感」に裏付けされた形状や配置を持つものでないと、わざわざ縮図を描いてまで寸法情報を採取している意味がありません。このような寸法情報が画面外のどの辺りの位置に埋蔵されているかを特定し、最小限の範囲の画面外を作画をすることが目的です。ここで最後の分岐条件となる「画面外に有用な寸法情報が埋蔵されているか」です。

ところで、有用でない寸法情報の具体例を挙げておきます。縮図レイアウトを描く前に把握しておくべきことは、寸法情報の「埋蔵位置」と「空間パースへの展開手順」ですが、この「空間パースへの展開」が思い通りにできないときがあります。これは滅多にない事態ではありますが、流線型の被写体(キャラなど)を3点透視で捉える構図などでは、その被写体の画面外にある足元を特定しても、空間の距離感を測定する基準とするには不確定要素が多くなります。なぜなら、本来なら人体解剖図やキャラの設定資料などのプロポーションから明確な寸法情報を知ることができますが、それと同時に何かしらのポーズを取っていることが普通だからです。つまり、そのキャラが直立不動のポーズであれば空間パースに展開することが容易ですが、複雑なポーズだと正確な長さを把握できないということです。もし画面外に配置された「有用な寸法情報を持つ被写体」が流線型である場合、縮図レイアウトを描いても正確な位置関係が特定できない可能性があるので警戒しましょう。

整理すると、「空間レイアウト上の配置の必然性」があり「パース作画が画面内で完結」できない構図でも、「寸法情報」に恵まれているなら縮図レイアウトを描けば有利に作画することができます。また、画面外にある「被写体の配置の土台」を崩さないことが重要な場合は、どれだけ手間がかかろうと空間全体が俯瞰できるまで作画範囲を広げる価値はあるといえます。ただ注意すべきは、有用な寸法情報の「埋蔵位置」が特定できない場合や、その寸法情報から「空間パースに展開」する手順が不明なときは、縮図レイアウトを描く解決法は賭けであるということです。

唯一の欠点としては何度も書いている通り、縮図レイアウトで画面外まで作画する範囲を広げれば広げるほど作画の手間が増えることです。しかし、ここまでの2つの分岐条件を通過できないような不利な構図でも理屈で対処できるというだけまだマシです。もしここで「寸法情報」が不足していたり、縮図レイアウトの作画の手間が膨大で手に負えなくなったりすると、残る描画方針の選択肢はもはや1つしかありません。


全ての分岐条件がfalse判定の場合

全ての分岐条件においてfalse判定を食らう構図を描画するには、空間レイアウト上で自らがカメラマンとなって被写体の「写し方」を試行錯誤するしかありません。この時点でラフな画面レイアウトは決定しているので、それを再現できる撮影ポイントを探し、そこでカメラの画角とアングルを調節して画面レイアウトと空間レイアウトの整合性を取るという作業になります。あくまで目測でザックリと確認する程度なので、3景分割して近景と中景のフレーミングを重視し、遠景となる背景は見栄え重視で配置をズラしても耐用できます。

なによりこの手法のメリットは、平面図や側面図などの単純な絵から画面レイアウト上の「映し方」を試行錯誤できることで、さらに風景画だけでなく人物画にも応用できることです。先ほどはキャラなどの流線型の被写体の寸法情報の有用性はポーズを取ることで無効となると説明しましたが、その問題も空間レイアウト上で考えれば無関係となります。ここまでは画面レイアウト上(画面内外)での寸法測定の要不要もしくは可否が分岐条件となっていましたが、空間レイアウト上ではそもそも寸法測定が不要で、カメラの視野の範囲のどの位置に収まるかで画面上のサイズの比率を測定します。つまり、キャラがどのようなポーズを取っていようと、そのキャラの平面図や側面図が描ければ、画面レイアウト上での「映り方」と空間レイアウト上での「写し方」を対応付けて試行錯誤できるということです。

このキャラデッサンの方法の具体例として、アニメ私塾のツイートを参考にさせて頂きます。これはフカンやアオリで捉えた人物の遠近感を側面図で説明したものです。わざわざ数値的寸法を使って測定しなくとも、具体的な現象として「映り方」を理解できる重要な考え方です。もしかしたら、アニメーターのように決められた構図を短時間で大量に描く場合、寸法測定はほぼ不要で、空間レイアウトをイメージしながら描画する方法が最適なのかもしれません。


まとめ

各シチュエーションにおける分岐条件と、その判定によって決定された描画方針の関係まとめると下表のようになります。そのときの思考過程は条件分岐のフローチャートで一目瞭然です。これが絶対に迷わない構図デッサンの思考過程です。

3つの分岐条件と4つの描画方針



数をこなす練習に対するアンチテーゼ

一般に構図を研究するには映像鑑賞が最も多くの情報を採集できて効率的ですが、流し見しながら1カットごとに構図の意図を瞬時に判断するのはかなりカロリーを消費する重労働です。もしこの訓練が「表現技術」を鍛える目的ならば、キャラクターの心境やストーリーの流れ、ときにはキャラクターの仕草から意図を汲むなどして多くの要素を分析して「何を描写しようとしているか」を見極める必要があるため、簡単にできることではありません。

しかし、そういった作品全体の繋がりは一切無視して「何を描画すればいいか」で判断するならば、もっと楽に構図と向き合うことができると思います。例えば、被写体の画面への収まりが全身ショットかバストショットかなどといった「カメラのショット」、被写体や背景の奥行きの縮小具合から「カメラの画角」の予想、そのシーンの舞台装置上の被写体やカメラの「空間配置のイメージ」、これくらいを確認しておけば描画手順の分岐条件の判断材料が揃うので「描画技術」を訓練する目的の映像鑑賞が可能となります。

そのような観点で映像作品を鑑賞しながら描画手順がイメージできないカットがあれば熟考するという練習方法を行うと効果的です。これは実際に絵を描かない練習方法です。これまでに、課題設定もせずにがむしゃらに「数をこなす練習」をすることを批判してきましたが、それに対するアンチテーゼとして「描画手順をイメージするだけ」の練習方法です。明確な課題や目的、そして描画するための記号の知識があれば、実際に絵を描かかなくとも脳内イメージだけで描画手順を計画できるようになります。描画手順さえイメージできれば、知っている記号を計画通りの手順で適用していけば目的の絵が完成するという寸法です。

そして、映像から抜粋した構図を計画通りの手順で再構築できたかを評価すれば知識と技術の紐付けができます。あとは知識や思考を具象化する作業のクオリティの問題で、紐付けの強度(スキーマ)、描画手順の想起効率、手先の感触などを鍛錬する「集中工程」で「練習タイプ4(活性化)」を行います。これは目的の記憶や感触を活性化させるという明確な方向性を持つ行為なので数をこなしても損はしないはずです。ここで言う「知っている記号」のカテゴライズについては「お絵描きのメカニズム 第3巻」を、「集中工程」については「お絵描きのメカニズム 第4巻」を参照してください。

誤解してはいけないのは、練習の数をこなしてはいけないという意味では無いということです。批判しているのは「訳も分からず数をこなす」ことであり、しっかりと課題設定せずに数をこなしても得られるものは少ないということです。つまり、意図的に数をこなしてもいいし、数をこなすべきときもあるということです。下の表は「お絵描きのメカニズム」における4つの練習タイプの適切な練習量の目安です。基本的には明確な目的やゴールが設定されていれば最小限の練習量で済むということがわかると思います。だからこそお絵描きのメカニズムでは練習の目的や課題をピンポイントで設定できるように、思考過程をフローチャートに表したり、知識体系のカテゴリーを構築しているわけです。

練習量の目安

明確な目的を持って行う「絵を描かない練習」の例を挙げておきます。まず、「演出意図」ではなく「空間把握」を主眼に置いて映像鑑賞する訓練は、その思考を逆に辿れば現実の風景や建築を被写体とした撮影行為に行き着きます。つまりカメラマンの視点です。カメラマンが現実の風景から構図をイメージする思考は、絵描きとして2次元の映像作品から空間レイアウトをイメージする思考と対をなすものです。構図デッサンの訓練とカメラマンの訓練はほぼ同じ情報を扱う作業であると考えれば、具体的な目的意識を持てるのではないかと思います。

実例を挙げると、レイアウトマンとして凄腕のアニメーター宮崎駿が若い頃行なっていた訓練が、絵描きとカメラマンの両方の視点で空間を観察するものだったそうです。まず先輩演出家である高畑勲が散歩中に見かけた建築の間取りを質問し、その回答を絵に起こして答え合わせをしていたそうです。現実の空間から間取りやカメラワークをイメージし、それを2次元の絵に変換する、その思考過程を散歩中に訓練していたということです。

試しにPinterestで様々な風景写真を見て構図デッサンのイメトレをしてみてはいかがでしょう。


思いつきの雑談

全てのシチュエーションで詰まないように厳密な分岐条件を考案してみましたが、ぶっちゃけ線遠近法いらないんじゃね?と思いました。というのも、一応ここで論じている構図デッサンは、一枚で完結するイラストレーションではなく、前後のカットの繋がりの整合性をも考慮しなくてはならない映像作品を念頭に置いています。すると、単純に描く枚数が多くなって手間を掛けられないし、前後の繋がりを考える際には空間レイアウトとカメラ位置で整合性を可視化できます。例えば、イマジナリーラインなどはカメラマンの立ち位置が不自然にならないように定められた境界線を意味しますし、映像作品を念頭に置いた構図デッサンは寸法精度を気にせず前後の繋がりの整合性さえ確保できれば、あとは効率に全振りでいいのでは、と思いました。

ただ、空間レイアウト上でカメラワークを考える訓練だけしていれば良いという訳でもないでしょうし、線遠近法(透視図法)による描画の訓練も普段からすべきです。普段の絵の練習メニューをどのように組むかを考えると、キャラ主体で見栄えだけでレイアウトする「重ね遠近法」、寸法精度優先で丁寧にレイアウトする「線遠近法」、映像撮影の整合性を優先して効率的にレイアウトする「空間レイアウト」、といった3パターンあればかなり上達できるのではないかと思います。思い返してみると、Twitterなどのタイムラインに流れてくるイラスト作品を見た時、一瞬のうちに感じる雰囲気というものはこの3パターンと一致するような気がします。キャラの撮影会をしているような立ち絵やアングルのイラストか、風景や建築の存在感を感じるズッシリとしたコンセプトアートの様なイラストか、時間の流れの存在や臨場感を感じる映画的なイラストか、大体この3つに分類している気がします。

「どういう絵を描きたいか」は「ある構図を描くこと」よりも根本的な目的意識だと思います。その目的は描画方針と深く関係していて、3つの雰囲気のパターンのどれが好みかによって訓練する描画方針を選んでもいい気がします。ちなみに筆者的には「空間レイアウト」を活用して映画的な絵を描くのが好みです。


参考文献

Twiterモーメント

参考サイト

構図資料


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