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きおく。母さん

そんな父と うって代わって 母は、
俗にいう《良いとこの出》というやつでした。
田舎ではあったものの、それなりの暮らしをしていたようで、現代になっても《腐っても鯛》という言葉を使って実家を表現してました。

母は、そんな家庭の中の末っ子。
甘えに甘やかされ、自分の母が亡くなる時でさえ兄弟からは祖母の病名を明かされなかった。
腸捻転で入院してる。高齢だから 入院が長引いてる。そういわれて 回復を待っていた母。
祖母は 末期の大腸がんを患ってたとも知らず。

ガンだったことを明らかにされたのは、亡くなってしばらくしてからだった。

じつはこの手法、私が幼いとき、
母から受けた事がある。

飼ってたビーグルが亡くなった時、私はまだ幼稚園にも通ってないくらいの年齢で、大の動物好きな私に大泣きされるのが嫌で 母は「獣医さんがこの子は可愛いからウチで預からせてほしいって言われたのよ。」と嘘をつきました。
幼いながらに、《ウチにいるより獣医さんところの方が幸せに暮らせるだろう》と感じた私は ビーグルと離れる事は寂しかったけど よかった。と少し感じてた。

それにしても、母方のやり方は、ちょっとどうなんだろうか,,,と考えてしまう。きっと 親族一同おなじやり方で育ってるんだろうな。と思った。