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幻想鉄道奇譚 #5

 濃紺の制服は三つ揃えで、ジャケットの襟もとには〈K・S・R〉のピンバッヂが輝く。

 支給された懐中時計のゼンマイも限界まで巻いたし、準備は万端だ。

 日暮れどきにつばのある帽子をかぶったエイダンは、ジャケットのポケットに懐中時計を突っ込むと、古ぼけたトランクにできるかぎりの荷物を詰め、意気揚々と部屋の鍵をかけて外へでた。

 給金を得るだけの仕事だから、本音としては職種なんてなんでもいい。でも、蒸気機関車の乗務員だなんてやっぱりかっこいい気がするし、この制服も背筋がのびる思いがする。たとえスラックスの丈があっていなくて、白いソックスを履いたくるぶしが丸見えだったとしても。

 大学を中退してからはじめて、エイダンは外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。紅葉しはじめた街路樹が、西日を浴びて黄金に輝いている。風もなく、あらたな旅立ちとしては幸先のよさそうな日だ。鼻歌交じりに大きなトランクを引きずり、三十分の道のりを歩く。北に向かうターミナル駅に着いてから、事前にベネットから教えられたとおり、校舎のようなレンガ造りの駅舎に入って階段をのぼり、〈K・S・R〉のプレートがある事務所を訪ねた。

 ノックをすると、「どうぞ」と返答がある。ドアを開けると、すらりとした立ち姿の壮年の紳士に出迎えられた。エイダンは笑顔で右手を差し出す。

「エイダン・カミングスです。よろしくお願いします」

「〈エンチャンテッド・スターズ号〉の車掌長、ゲイル・クーパーです」

 柔和な笑みで軽く握手を返してくれたが、深みのあるブルーの瞳は笑っていない気がした。そんな思い込みのせいで、自分は歓迎されていないのではないかと勝手にケチをつけそうになる。

 口髭がよく似合う紳士のジャケットの丈はロングで、エイダンの制服とは違った。それに、袖口とスラックスに金色のラインまで入っている。ネクタイは赤く、ベストの金ボタンに懐中時計の鎖をかけていた。小物をうまく使いながら、皺一つない制服をきりりと着こなしている様に目を見張ったエイダンは、紳士の帽子の〈K・S・R〉の刺繍に目がいった。さらにはネクタイにも、ジャケットの襟にも刺繍がある。そのときになって、エイダンはやっと察した。

 あ、そうか。僕のは〝それらしく見える古着のかき集め〟に、駅で買えるバッヂをつけただけの制服だったんだ。正式な車掌ではないのだからこれで充分じゃないかと思うものの、浮き立った気分はいっきにしぼんだ。

「しかし、すごい荷物ですな。荷物を詰めるのは苦手ですかな?」

「えっ? あ、はい……いえ、いいえ! あの、十日分の着替えとか本を詰めていたら、こうなってしまったのです」

「なるほど。まあ、着替えはしかたがないとしても、本を読むような優雅な時間は皆無であると、お教えしなくてはなりませんな」

 エイダンは顔を赤くした。そのとおりだ。これは旅行じゃない。仕事なのだ。

「……すみません。失礼しました」

 そう言ってうつむいたときだった。

「遅れてすまない」

 うしろから声がして、エイダンは振り返る。涼し気な面立ちの青年が立っていた。灰色がかった色の髪、曇り空のような色合いの瞳の持ち主で、エイダンよりもやや小柄だ。

 彼の制服もクーパーと同じもので刺繍がほどこされており、金色のライン入りスラックスの丈もピッタリだった。ジャケットの胸ポケットには赤いバラまでしのばせており、乗客に気に入られるためかめいっぱいのおしゃれをしている。

 なんとなく初対面でわかってしまう。年齢が近くても、きっとこの青年とは仲良くなれない。こういった予想は残念ながらたいてい当たってしまうものだ。こちらを値踏みするかのような青年の視線から目をそむけつつ、エイダンはとにかく下っ端としての礼儀を重んじることにした。

「エイダン・カミングスです。よろしくお願いします」

 右手を差し出すも無視されて、エイダンはおずおずと手を引っ込めた。

「……レニー・スミスです。僕の荷物の十倍はあるね」

 スミスが手にしていた布製のトランクは、抱え持てるほどの大きさだった。この仕事に慣れている証拠だ。よそよそしい二人から友好的な態度を引きだすことができないまま、エイダンは行路表をクーパーから受け取った。

 サウスシティのターミナル駅を出発し、アースニアに到着する間で途中下車できる駅は、たったの七駅。五日間、〈エンチャンテッド・スターズ号〉はひたすら終着駅を目指すらしい。

「本日は第一の停車駅、バーレンに向けて明朝六時まで走ります。ミスタ・カミングスは、私とレニーの指示に従ってください。いいですね」

 ミスタ・カミングスだなんて、仰々しい。こちらのほうが偉くなったみたいで落ち着かない。

「はい、わかりました。それからその……どうぞ、エイダンと呼んでください」

 スミスがクーパーを見る。するとクーパーは小さく冷笑した。

「我々の指示なく動けるようになったら、そうしましょう」

 つまり、まだ仲間として受け入れられてはいないということだ。初対面だし、エイダンが車掌に向いているかどうかもわからない状況なのだから、無理もない。そう頭では理解できても、気持ちは氷のように冷えていく。いたたまれなくなってうつむこうとした矢先、ふいにスミスが問いかけてきた。

「君はどうして車掌になろうと思ったんだ?」

「えっ?……と、それは……たまたま雇ってもらえただけで、とくに車掌を目指していたわけでは……」

「たまたま?」

 眉をひそめたスミスが繰り返す。クーパーは険しげな表情でこちらのやりとりを見ている。

「じゃあ君は雇ってもらえるのなら、この仕事じゃなくてもよかったというわけか」

 はいそうですと答えそうになったものの、この場をうまくきりぬけるために嘘をついたほうがいいのだろうかと、エイダンはちょっと悩んだ。けれどもそれらしい内容はいっこうに頭に浮かばず、結局素直にうなずいた。

「はい。そうです……」

 スミスがこの仕事に誇りをもっているのは、ジャケットの胸ポケットを飾っている一輪のバラが物語っている。でも、それだってよく見たら造花だし、花びらの色も日に焼けて薄くなっていた。偉そうな態度をとるのなら、それ相応の花を挿したほうがいいんじゃないか。そんな意地悪な思いがよぎったとたん、胸の奥にくすぶる言葉がいきおいよく口から飛び出した。

「は……働く理由なんて、人それぞれだと僕は思います。初対面のあなたに責められる覚えはありません」

 スミスは瞠目し、押し黙った。クーパーの口角がかすかにあがったように思える。

「時間がありません。挨拶が終わったのであれば、そろそろ儀式を」

 クーパーが懐中時計を手にした。スミスも取り出したのを見て、エイダンもそれに習う。

「現在の時刻は十八時四十七分。時刻をあわせてください。よろしいですかな」

「ああ」とスミス。エイダンも「はい」とうなずく。クーパーは懐中時計をベストのポケットに戻すと、うつむきながら両手を前で組みあわせ、目を閉じた。

「どうかこの旅を無事に終えることができますように」

 スミスも同じ仕草で繰り返す。

「どうかこの旅を無事に終えることができますように」

 無事を祈る儀式らしい。エイダンも一応真似ておいた。

「どうか……この旅を無事に終えることができますように」

「願わくば、神よ。乗客のみなさまの運命をお守りください」

 クーパーがそう続け、スミスも唱える。エイダンも機械的に二人と同じことをしながら、ずいぶんとおおげさな祈りだとけげんに思う。数秒の沈黙ののち、スミスが口を開いた。

「気のあわなそうな奴とこれから仕事かと思うと、うんざりしてきたな。すまないが先にいくよ」

 これにはさすがのエイダンも堪えきれず、ムッとした表情を隠さなかった。

 いったいなんだって言うんだ。初対面なのに、僕のなにが気に入らないんだろう。きっと気弱そうな僕になら、なにを言ってもいいと思っているんだ。いいさ。そういうやつはたくさん見てきたし、そういうやつはどこにでもいたもの。とくに大学での多さはとんでもなかった!

 だから、充分に堪えられる。哀しいけれど、僕は慣れているもの。嫌われて仲間はずれにされることなんて、どうってことないさ――。

「さて、長い勤務のはじまりです。準備はよろしいですかな」

 クーパーが言った。準備はまるでよろしくはないが、エイダンはとりあえず答えておいた。

「……はい」

 大きなトランクを引きずって、クーパーのうしろを歩く。そうしながら、むくむくとわきあがる違和感が後悔に変わっていくのを、じんわりと感じはじめていた。その後悔が、荷物をこんなに詰めるんじゃなかっという思いなのか、それとも、そもそもここへきてしまったことなのか、エイダンはよくわからないまま駅舎をでた。

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