久高島で踊る
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久高島で踊る

おどるなつこ

〜何もないけどすべてがある〜2009年に初めて招ばれるように久高島を訪れた際に、大きなインスピレーションを受け、以来私の大切な場所としてたびたび訪れていました。

変わり始めている

この島は祈りの島と言われる聖地です。立ち入り禁止の場所も多くあり、これまで何度も訪れながらも、むやみに映像公開できないと思ってきました。しかし、この、コロナで世界が変わる中、島も変わり始めていました。
リーダーのある方とお話しさせていただいたところ「ぜひ公開してください!」と言っていただいたので、「久高島で踊る〜KUDAKA ODORU ART TRIP」シリーズを公開してまいります。

初めて久高島を訪れた日のこと

踊るってこういうことだったんだとスッとふに落ちたのは、美しい浜で散々泳いだ後、丘の上でふわふわと風を感じて踊っていた時でした。
同行していた友人の子、まだ2年生ぐらいの年ごろの子が「なっちゃんは踊る人なんだねぇ〜」と大人びた気配で言いました。

2009年に、ふっとというか、呼ばれるように心かられて、はじめて沖縄から久高島へいった。
友人の仕事に同行、小学生の女の子の付き添いとして閑な私は、早起きしてその子を連れてバスとフェリーを乗り継ぎ、久高島へ向った。
ついてみた久高島は、小学校設立50周年で島をあげてのお祭り!島中の路地で門付けのようにつぎつぎとエイサーが踊られている。泳ぐならどこそこの浜が一番だよとおしえてくれる。えっ、今日が祭りって知らないで来たの?そりゃあ招ばれたんだねえ。体育館にご馳走がびっしりあるから食べていってよ、と会う人ごとに言われる。

ご縁は不思議

この日は不思議な邂逅がまだあった。なぜか同じ日に同じ島を訪れていた、数年ぶりになる鎌倉のママ友に船の上から声をかけられたのだ。「なんでここに!」と双方で驚いて、彼女の車に乗せていただいて那覇市内まで戻った。
この彼女が作家の稲垣麻由美さんである。そのあとも、私の人生の変わり目にふとアドバイスをくださり「会わせたい人がいる」と他の方へつなげてくださる。明日も私は、彼女に紹介いただいた方とお話をする。

禍いはお知らせ

久高島では、島のものは何一つ持ち出してはならないとされており、砂や貝、小枝など、きちんとあった場所に置いておくように伝えられている。
久高島→ https://kudaka-island.com/​

私はもちろん何一つ持ち帰っていないのだが、満ち足りた気持ちで神奈川に戻ると、立て続けに禍いがおきた。

1.自転車のハンドルにぶら下げてあった布袋に入っていた金槌の枝が、緩い下り坂で前輪にスポットはまりロックされて、乗っていた私は道路に投げ出され、顎の皮をスパッと割り、落ちた体の上には一回転した自転車が降ってきた。顎の突端が割れて縫ったが、ちょうど顎ラインだったので目立たずすんだ。
2.我が家の猫がアライグマの集団に襲われたようで、片足をズダズダに引き裂かれてドロドロで帰宅。治療の甲斐虚しく傷口が腐ってきてしまい、手術で片脚切断となった。

これらのことは、私が、何をしなければいけないかをきちんと気づかせてくれた。

私はこの前年、ドイツ国際平和村を訪れ、紛争地で怪我をして治療中のアンゴラやアフガンの子ども達と踊る機会があった。彼らは顔の一部や片足が欠損していたが、朗らかで明るい子ども達だった。
私はこの時、次世代が出会う場所が戦場ではなく踊り場でありますように!と願い、自分は今後そのために踊ろうと帰国したのに、1年経ってもまだ何もできていなかった。

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この、初の久高島行きがきっかけとなって、何から動けばいいのか逡巡していた私は、ご縁のあった福祉施設でタップセッションを始め、半半年後に「あしおとでつながろうプロジェクト」前身の任意団体を立ち上げたのでした。noteブログもよろしくお願いします!サロン開設中です!

何度でも同じ場所で踊り、その度に原点に戻ることができる島。チャンスがあればぜひ訪れてみてください。




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おどるなつこ

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おどるなつこ
タップダンサー・振付家/2002年ヘブンアーティスト認定、演劇振付や芸術家派遣事業で全国巡る。2010年"あしおとでつながろう!プロジェクト”を設立、障害のある100名と共に、誰もが尊重しあう体験を町に広げている。"アート×福祉“ プログラム事例〜おどるなつこ裏日記。