マルクスでエエんですか?

自分の内面を見つめるというのは、気が進まないものだ。

見れば見るほど、ろくなものではない。

だから、大学生の頃、私は自分の内面を見つめるのはもうやめることにした。

私にはたぶん、優しさとか思いやりとか、そういった、人として大切な「良きこころ」が欠落している。

しかし、お前の人格など社会全体から見ればどうでもよいこと。

「かれらがなんであるかは、かれらの生産と、すなわちかれらがなにを生産し、またいかに生産するかということと一致する。」

思想家の内田樹さんが感銘を受けたというマルクスの言葉だ。

ある人の本性が善良か邪悪かは問題ではなく、善行を為す者が善人で、悪行を為す者が悪人、ということだ。

自分の人格は自分ただ一人の問題に過ぎないから、真っ当な人間であるためには外向きに「良きこと」をやっていけばよい。

少し救われた気分になる。

しかし、世の中には、本性が善良でなくてはできない振る舞いがあるようだ。

また、本性が善良でなくては許されないこともあるようだ。

「あなたには善良さがない」と言われれば、私は何もできずに立ち尽くすほかない。

本当の善良さとは、どうやったら身につけられるのだろうか。

マルクスでエエんですか?

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