要は、バランスなんだよな

これは簡単に言ってはいけない魔法の言葉である。

『8時だョ!全員集合』の金ダライのようなものだ。この言葉を使うと全てが強制終了する。再起動にも時間がかかる。

昔から、ズケズケとものを言う人間になりたいと思っていた。

「鼻毛出てますよ。」
「チャック開いてますよ。」
「クリーニングのタグが付いたままですよ。」
「サイズのシールが付いたままですよ。」

誰も指摘してくれないようなことを指摘してあげられる人でありたいと思っていたし、言いにくいことを言える人でありたいと思っていた。

実際そうしてきた。

学生の頃は、授業中に教師が「わかったかー?」と言った時、自分はわかっていても、わからなさそうに首を傾げているクラスメイトがいれば「わっかりませーん!」と言った。

集団行動中、トイレに行きたそうにしている奴がいれば、自分が行きたくなくても「おれ、トイレ行きたいっす!」と手を挙げた。

言えない人の気持ちを代弁してあげるのが自分の役割だと思っていた。

大学一年生の時、ヌルいサークルに入っていた。

先輩方は後輩の女の子を遊びに誘うことしか考えておらず、僕たちくそ野郎どもには目もくれなかった。

夏休みも近づいたある日のこと。部長の木村さん(仮称)がこう言った。

「えー、夏合宿は強制参加ですけど、欠席の人ォ?」

その顔面は大学生らしく弛緩しきっていた。

瞬間、激烈に腹が立って、一人手を挙げた。

(なーにが強制参加だよ…!)

木村さんは決して悪人ではない。むしろ善の側だ。後輩にも優しい人だった。

しかし、この人格者を使って、こんなヌルいレトリックで我々を体よく統治しようとしている構造、気分みたいなもの全体に怒りを感じたのだ。みたいなものに。

このファーストペンギンに六人ほどの勇者が続いて手を挙げた。

実際は僕らが負け犬だった。そのサークルを四年生まで勤め上げた同級生たちは当時の先輩と同じような立場になって、楽しそうにしていた。僕は、とんだハーメルンの笛吹き男だった。

指摘したら、「傷ついた」と言う人もいた。
単に和を乱す人間だと思われていた。

話していることに間違いがあったから、周りの人にはわからないようにそっとメールで指摘したら、「誰にも見えないところで言われた」と文句を言われた。

難しいねえ…。

その人のために、誰かが言ってあげなければならないことがあると思っている。傷つけても、その殻を破ってあげなければならないことがあると思っている。自分が嫌われようが、別に構わない。

そう思っていた。

でも、確かに人を傷つける権利はない。僕が嫌われることをよしとしない人もいる。

要は、バランスなんだよな。

僕もだいぶ丸くなってしまったな。これが大人になるというこ

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