見出し画像

北陸先端科学技術大学院大学の由縁について

石川県能美市辰口町―

昭和で時間が止まっているようなのどかな風景の中、旭台という丘の上にそびえる秘密基地のような建物。

それが、私が採用になった北陸先端科学技術大学院大学、通称、JAIST。

理系の大学なので、夜になると田舎の真っ暗な闇の中に煌々と明かりが点っており、最初に見た者は皆「あの怪しげな建物は何だろう?」と思うものだ。

「先端科学技術」の「大学院」なのに、何故こんな辺鄙な山の中にあるのか。

熊が出たらオープンキャンパスが中止になる、冬は上司の号令のもと、雪かきから仕事が始まるような場所である。

大学で働いている時は、これはバブル期に国が勢いで作った失敗作だな、と思っていた。

その後、私が上京して勤務する文部科学省での最初の課長、実はこの方が石川県に出向していた時代に、この大学の設立作業に大きく関わられた。

その設立の経緯について、宴席だったか、嬉しそうに語っていただいたことがある。

「旭台」という地名は戦後、当地に入植した者達が復興の希望を込めて名付けたらしい。

しかし、開拓は失敗に終わり、以来、地元関係者はこの地に大学を誘致したいと考え始める。

中心となったのが地元温泉旅館「まつさき」の松崎氏。

地元政財界を束ね当時の文部省・大蔵省に再三再四要望を続けたが、何しろ立地条件が不利である。なかなか願いは叶わなかった。

転機となったのが文部省が立ち上げた先端科学技術大学院大学構想である。

石川県出身の森喜朗元文相・総理の力添えがあったことは言うまでもないが、地元政財界が一体となり大学設立計画の策定に尽力した。

課長は石川県に出向中、細かな条件の精査を行いつつ地元関係者とともに支援企業、寄附集めに奔走した。

当時の文部省内に置かれていた設立準備室に対して、「雷は昔は多かったが、最近は少ない」などの詭弁を駆使し、設置の妥当性の説明を続けた。曰く、「大学の地下を走るパイプの太さまで決めた」らしい。

そして、晴れてこの地での設立が決まった。

Japan Advanced Institute of Science
and Technology

奈良先端科学技術大学院大学は「NAIST」だが、こちらは日本で初めての国立大学院大学。

だから「ジャパン」だ。

地元関係者の感激はひとしおであり、文部省には手厚いお礼に足を運ばれたが、これまで無下にされ続けた大蔵省にはついぞ行かなかったという。

私は課長からこの逸話を伺うまで、全くそのようなことを知らなかった。

大学は職員に対してそういう教育はしていないのである。

おそらく、ほとんどの職員は自分が働いている大学が地元関係者の永年にわたる熱意を基に生まれたことを知らない。

何故忘年会では「まつさき」を使うのか。

何故地元の人達がキャンパス内に野菜を売りに来たりするのか。

誰も教えてはくれなかった。

大学で働く職員は、大学で働きたい、という希望を持つ者よりも、地元で働きたい、という希望を持っている者の方が多い。大学への思い入れなど、あまりないのである。

もし職員が皆、このようなエピソードを知っていれば、働く気持ちも少しは違ってくるのではないか、と思う。

あなたの御寄附は直接的に生活の足しになります。