錬金術師はいかがわしい

「アイヌでは、すべてのものに意味がある、と考えるそうです。無駄な経験というものは何一つないので、みなさんもいろんなことを頑張っていってください。」

高校時代、部活を引退する際の挨拶で、私が後輩達を前にして言った言葉だ。

私は無責任な性格なので自分が言ったことはすぐ忘れるのだが、この言葉は憶えている。

何故かというと、ヒュー、我ながら名言、と思ったからではなく、その逆で、自分の中でどうも引っかかっていた言葉だったからだ。

もともと深い考えがあって発した言葉ではない。

ああいう場では何か気の利いたことを言わなくてはならないのだ。

年長者の辛いところである。

本当にすべてのことに意味はあると言えるのか。

世の中には意味のないこともあるのではないか。

あれ以来、ずっとそんなことを考えていた。

未曾有の大災害、大切な人の不慮の死など、どういう意味や理由があってもたらされたのか、理解できないこともあるだろう。

すべてのことに意味があるなんて、息苦しくてかなわない。

「バナナをひとつもぎ取ったお前の動作 神様が気にすると思うのかい」(『パイナップルサンド』/Blankey Jet City)

そうだ。

意味は、「ある」とか「ない」とか、そういうふうに、啓示のように誰かから与えられるものではなく、自分で見つけるものなのだ。

鉄くずを金塊に変える錬金術のようなものだ。

鉄くずは、鉄くずなのだ。

あなたの御寄附は直接的に生活の足しになります。