もし僕が神様だったら

ある日の職場の宴席でのこと。

おでんが美味しいお店だった。

僕はこれまでの仕事人生では、いつも素晴らしい上司、同僚、部下たちに恵まれてきた。

もう30代になった独身女子の部下。とてもいい人。

職場には30代、40代の独身女性が増えてきた。真面目な、素敵な人ばかりだ。男はしょーもない奴でもおおむね既婚。僕とか。

心から、幸せになってほしいなあ、と思う。

早く結婚できたらいいね、という意味ではない。

女性は歳を重ねるほど、男性よりも強く有形無形の「幸せ」プレッシャーがかかってくると思っている。

幸せの形は別に何でも良くって、どのような形であれ、そういうプレッシャーに打ちのめされずに、心穏やかに生きてほしいなあ、と思うだけ。

しかし、結婚する時、相手に「あなたを幸せにします!」とか、親御さんに「お嬢さんを必ず幸せにします!」とか言う男がいる。いるらしい。

すげえなあと思う。その包括的な幸せ保証。

「幸せ」というのはすぐれて個人の感覚の問題なので、それを高確率で実現する手段となれば、これはもう洗脳しかない。

何だか、すごく不遜なのではないだろうか。実現可能性が担保できないし。せめて「少なくともDVはしません」と留保をつけるとか。

まあ厳密にはこれは一種の決意表明でそれ自体が十分な重みを持っており実際に幸せにできるかどうかはあまり問題ではないことはわかっているのだが云々モヤモヤと考えてしまう僕には、こんな啖呵が切れない。

それはまさに神の所業。

ふっと思った僕は当該女子に、

「もし僕が神様だったら、絶対にあなたを幸せにします」

と言っていた。

いつものいい加減なインプロ言上だ。

彼女は苦笑いして「お願いします」と手を合わせて僕を拝んでいた。

まあ、神様だったとしても邪神だがな。

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