小さな恋のメロディ / Blankey Jet City

僕が世界で一番好きな曲の話をする。

それは、ブランキー・ジェット・シティの『小さな恋のメロディ』という曲だ。

ブランキーとの出会いは大学3年生の時だった。

同じ学部の友人から、『BARRACUDA~TOKYO SIX DAYS.』というビデオテープを借りた。VHSだ。

その頃はブランキーが『赤いタンバリン』や『SWEET DAYS』といった比較的ポップな曲を次々とリリースしていた時期で、何なら解散までしていたので、僕も存在自体は知っていた。

僕は特に『SWEET DAYS』が好きだった。とは言いながら、実はSOPHIAという別のバンドの『黒いブーツ~oh my friend~』という曲と混同しており、その曲に無理やり『SWEET DAYS』の歌詞を乗せて適当に口ずさんでいたお粗末加減ではあったが。

ある日のこと。その音楽好きの友人と話をしていたらブランキーの話になり、「俺、好きだからビデオ貸すよ」ということになったのだ。

しかし、そこまでブランキーに関心はなかった僕は、ビデオまで見たいとは思っていなかった。

なんてえの?

ロック?

僕はもともとロックというのが大嫌いだった。

それは自分の感情をコントロールできないバカが聴く音楽だと思っていた。

中学生の頃、尾崎豊に傾倒する不良たちに辟易していたからだ。

タバコを吸ったり、ロッカーを壊したりする不良に、教師の命を受けて説教をするのが、クラス会長の僕の役割だった。

考えてみれば教師の職務放棄である。

「タバコの害」について、道徳の時間を使ってひとコマ授業を持たされたこともあった。

不良には殴られた。

不良を注意しなければ、今度は教師に殴られた。

そんな不良たちのアンセムが尾崎豊であった。

僕はロックが大嫌いだった。

不良たちは、自分のやりたいことを好き勝手にやる。

思ったことをためらいもなく口にして人を傷つける。

そのくせ女の子にはモテやがる。

やってられないよ。

さてと…。

僕は一人暮らしの部屋で夕食のうどんを作ってから、14型のテレビデオにテープを流し込んだ。件の友人が「そろそろ返してくれるか」と言ってきたからだ。

見ないで返すのも悪いしな…。

うねるような、重々しいギターのイントロが始まる。ベースとドラムがビートを刻み出す。ボーカルが口を開いた。

「オレのハートはたぶん、破れたビニールシーッ」

うどんを口に運ぶ箸が止まる。

男の放つ一言一句に聞き入る。

歌詞カードが入っていなかったから、歌詞はよくわからない。

要するに、麻薬をやったら最高だけど、俺のママが悲しむ、みたいなことを言っている。たまに叫んでいる。

ビートに身体が揺すられる。

演奏はタイトだ。大勢いながら誰が何の音を出しているのかわからない音楽番組のバンドとは違って、3人が演奏するギター、ベース、ドラムの音が確かに響いてくる。スリーピースなのに、何だこの音圧は。

フーッフゥと叫びながら次の曲が始まった。
ギターリフに痺れる。

客は暴れている。

ろくにMCも挟まず、ステージは進行していく。

ボーカルは性を超越した神のような、断末魔のような声で、不思議な詩世界を唄う。

楽器と楽器の連なるグルーヴ。

壊れそうなガラス細工を見ていたかと思えば、デッドヒートするポッドレースを見守るような、いや、自分がそのレーサーになったような感覚になる。

スピードメーターを振り切って感じる、絶望と希望の境界線が取り払われるような、一瞬の煌めき。

うどんはすっかり冷めていた。

僕は深夜営業のレンタルショップに走った。
正確には親父のお下がりのトヨタマークIIグランデ2.5をビデオシティ桜町店に向かって走らせた。ガソリンはハイオクタンだ。

「ふ」のコーナーに駆け寄った僕は、片っ端から歌詞カードを取り出し、ボーカルの男が口にしていた言葉を探した。

「いいだろう オレのこのサングラス」

「奴は大量の血液を皆に見せびらかしてる」

「新しい国ができた 人口わずか15人」

「リーゼントが崩れるのさ」

「Baby そんなオレだけど愛してくれるかい」

歌詞を見つけたCDを次から次へと脇に挟んでいく。

曲名を控えていなかったのか。なぜそんなことをしたのだろう。よく覚えていない。

一夜にして僕はブランキー・ジェット・シティの住人になった。

翌日から、ビデオを貸してくれた友人も引くくらいの熱い口振りでブランキーの素晴らしさについて語り出した。

CDや関連書籍を買い漁り、目を皿にして3人の言葉を読んだ。

インターネットが発達していなかった当時、docomoのi-modeの掲示板で「夢に見た街」というブランキーのファンサイトを見つけ、ちはるさんという少女や、ハツカネズミ君という少年、テツさんというお兄さんたちと語り合った。

僕は、『シェリル』という曲の歌詞から取った「砂漠の商人」というハンドルネームを使用していたが、偽者が出て荒らされるくらいの暑苦しい住人だった。

WOWOWで放送されたフジロックのラストステージがどうしても見たくなり、掲示板で知り合った石川県在住の、歯がボロボロのお兄さんにビデオを借りた。

ブランキーが好きな人は、みんないい人だった。

それまでの自分と150度は変わった。

それまではどちらかと言えば潔癖な性格だったが、「裸でブーツを履いたまま傾いたベッドで眠る」ようなラフな性格になった。

ああ、俺は「どうやら違う星から迷い込んできたらしい」。

ブランキーは、僕を変えた。

ブランキーは、一生聴く音楽になった。

いや、実はもう日常的には聴いていない。

それは、永久に心の中で鳴り続ける音楽だからだ。

幸せになるのさ
誰も知らない 知らないやりかたで

ああ、何てことだ。そうか。そうなのか。

親元を離れ、申し訳程度の自由を得て、家族より深く付き合う人たちに出会い、学生らしく勝手に思い悩んだ、その時代に生まれたこの曲が、このフレーズが、僕を救ったのである。

僕は文化系不良になった。

ロックは、自分の感情をコントロールできないバカが聴く音楽だ。

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