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夏の花火とクリスタルパーク

大学4年生、2001年の夏。

宝くじに外れるように、僕は全ての公務員試験に落ちた。

うどん屋のアルバイトを一か月でクビになった時も多少は堪えたが、これは親善試合ではない。人生の公式戦での敗退である。

社会から「あ、君は要らないから」と宣告されたような気持ちになる。

それまで要領よく生きてきた僕にとって、横並びから脱落するのは初めてのことだった。

挫折、と言っていい。

友人達は皆、民間企業から内定をもらっており、めでたく社会人となる未来が決まっていた。

僕は、彼らの手前、いやあ、落ちたねえ、無職だねえ、と呑気にうそぶいてはいたが、内心では情けなさ、恥ずかしさが募っていた。

彼らは普段と変わらないように接してくれたが、彼我の間には透明な薄い膜があるようだった。

それは自分で作り出したものだ。

皆、俺を馬鹿にしているのではないか。
落伍者と蔑んでいるのではないか。

疑心暗鬼になるのが嫌で、一人暮らしの部屋にこもりがちになった。朝刊を読んでから寝るような、昼も夜もない毎日。

気分転換に入ったある日のバイトの帰り道、電話があった。

それは一人の友人からで、誰かと一緒にいるのか電話口がガヤガヤしていた。おそらく皆で食事でもしていて、試験に落ちて凹んでいるあいつをちょっと励ましてやれ、という話にでもなったのだろう。

電話の内容はいくらかの安否確認的な会話が主だったが、一つだけ思考が必要な事項があった。

「気分転換に花火でも行かんか?」

花火。

言葉を耳にしても、頭の中に像を結ぶことができない。

「まあ、考えとくわ」と僕は返答した。

断りのつもりだった。

とても花火になど行く気分ではなかったが、友人の前向きな提案に相対して「行くかよボケ」と言ってみせる元気もなかった。

そしてまた自堕落な日々が過ぎていった。

そんなある日。この日も夜に朝刊を読んでいたわけだが、紙面には明日の花火大会の告知が掲載されていた。

花火か。

何となく行きたいような気がしてきた。

というか、誘われてたか。

明日のことだけど、どうだろう。

ベッドサイドの置き時計を見る。もう22時を回っていた。

電話をかけても出ないかも。それならそれでいいし。

あ、出た。

明日、花火あるやん。何か新聞見てたら行きたくなってきて。

「ちょっと折り返すね」と言われ、しばしの後、折り返しあり、OKとのこと。

たぶん北国新聞の方は混むだろうから、中日新聞の、うん、大豆田大橋の方はどうかなと。うん、じゃあ有松のグルーヴ集合で。

一つの約束をした後も、僕の心には波一つ立っていなかった。

翌8月4日、土曜日。まあ、夏休みの大学生に平日も休日もない。

当日も夕方まで寝てからのそのそと起き上がり、車で指定の有松グルーヴに向かう。ちなみに、グルーヴというのはローカルTSUTAYAみたいな店だ。

少し時間があったのでついミニマルテクノのCDを買ってしまう。ハズレだった。

しばらくして友人が現れ、その車に乗り換えて会場至近のパチンコ屋に向かう。田舎ではパチンコ屋とはこれすなわち駐車場のこと也。

助手席に浅く、どっかりと腰掛けた僕は、口数少なく、窓に流れる夜の景色をぼーっと眺めていた。

何も面白いものはない。暗いからな。

パチンコ屋に着き、車を置いて花火大会の会場へ。

賑わいが、ある。

僕と友人は適当な場所でアスファルトに腰を下ろし、次から次へと上がる花火を見ていた。

正直言って、大したことはない。既視感のある、地方都市の花火大会。

気分は乗らないが、冷やかしのように僕は「たまやー」とつぶやいた。

合いの手を入れるように、友人も「たまやー」と言った。

ふん、調子のいい奴よ。

その後は友人のチョイスで「クリスタルパーク」という謎のレストランに行った。

高度成長期を思わせる浮世離れしたチープな調度品が僕の投げやりな気分にフィットして、なんだかホッとした。

僕らは閉店時間まで、あれやこれやと話した。また僕は、いやあ、落ちたねえ、無職だねえ、と語った。何のてらいもなく。

短い一日が終わった。

思い出を美化するのは簡単だ。この日の出来事を、さぞかし素敵なことのように書きつくることもできるだろう。

だが、事実、その日、僕の心に動くものは何もなかった。

事実。

そこにあった事実。

友人が僕を暗い部屋から連れ出してくれたこと。

そして、「頑張れ」とか「負けるな」とか言うのではなく、ただ彷徨う心の傍らにいてくれたこと。

たとえ社会が君を必要としなくても、私は変わらないよ。そう感じさせてくれたこと。

その日。友人が「たまやー」と言ったその時。僕は少し呆れながら、そっと横目でその顔を見た。

暗がりの中、空を見上げ、提灯と花火の暖かな色味に照らされた横顔は、穏やかな笑みを湛えていた。

それは拍子抜けするほど優しい風景。

僕が生きている世界の事実だった。

あなたの御寄附は直接的に生活の足しになります。