愛子ちゃん

小学校1年生のとき、僕は愛ちゃん(仮称)という女の子のことが好きだった。

そして、何をトチ狂ったのか、ある日「ぼくはあいちゃんがすきです」のような独白を連絡帳に書いてしまい、しかもなぜかそれが明るみに出てしまった。

情報漏洩のルートは担任か親か。仮にこれが戦国時代であれば愛ちゃんはたちまち人質に取られ、僕は傀儡政権、臥薪嘗胆の日々である。

しかし、ここで事態は予想外の展開を見せる。

同じクラスに、愛ちゃんとよく似た名前の愛子ちゃん(仮称)という女の子がいたのだが、僕はこの愛子ちゃんを好いている、という誤った情報が流布されてしまったのだ。

確かにビジュアル面では愛子ちゃんに分があった。僕の意中の愛ちゃんは、気は優しくて力持ち、のような朴念仁タイプの女子であった。客観的に見れば愛子ちゃんの圧勝である。しかし、彼女は高飛車な女王様タイプで、モヤシっ子の僕は苦手意識を持っていた。

以降、「お前はモヤシの分際でアタシが好きなんだろ」と言わんばかりに愛子ちゃんの態度はますます横柄になり、民草は圧政に苦しんだ。若干ツンデレくさかった。

でも、「俺、別にお前のこと好きじゃないからな!」とも言えない。勘違いかもしれないし。

そのうち僕は中学生になり、愛子ちゃんも中学生になった。まあ、同級生だからね。

僕は卓球部に入り、それ以来今日まで不遇の時代を送ることになるのだが、中学生の愛子ちゃんにもいろいろな苦労があったようだ。無邪気な乱暴者は、往々にして本物の悪党に淘汰される。愛子ちゃんは物静かな女の子になった。

その後、愛子ちゃんとは高校も同じだったが、3年間を通じて数回しか話したことはなかったと思う。話す時は、常に不自然な間があった。彼女は常に、変に微笑んでいた。

「あの、俺、別にお前のこと好きじゃなかったからな」とも言えなかった。勘違いかもしれないし。

たまに実家に帰ったとき、聞いてもいないのに母親が愛子ちゃんの近況を教えてくれることがある。あんたやな、漏らしたの。

でも、「母さん、俺、別に愛子ちゃんのこと好きじゃなかったんだけど」とも言えない。勘違いかもしれないし。

愛子ちゃん、元気でやってるかな。いつもそう思いながら母親の話を聞いている。

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