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モスバーガー

小学生の頃。新聞の折り込みチラシを見ていた祖父が「これはうまそうやな」と言った。

それは「モスライスバーガー」と書かれた、パンの代わりにご飯で何かを挟んだハンバーガーだった。

モスバーガー公式サイト『ライスバーガー誕生物語』(https://www.mos.jp/omoi/15/)より

ライスバーガーは今でも定番メニューとして地味に生き残っているが、そのデビューはとても華々しいものだった。

我が家は生真面目な人間が多く、ハンバーガーなどという不良向けフードとは縁がない家庭だった。家族はおそらくNHKでも見て、一度食べたが最後、麻薬的にハマって成人病になるとか真剣に考えていた可能性が高い。コーラを飲むと骨が溶けるとか、あの辺の特殊な信仰だ。

しかしこのライスバーガーは何となくヘルシーな雰囲気があったからだろうか、家族の賛同が得られ、祖父はスーパーカブを駆ってそいつを買いに行った。

その焼きおにぎりのようなハンバーガーを、家族は口々に「おいしい」「おいしい」と言って食べた。確かに、ほとんど外食をしない我が家では食べたことがない、異次元の味がした。

以来、モスバーガーは我が家公認の外食となった。一番近くにあった店舗は隣町の小松駅前店。ここが祖母と買い物に行く際の定番の食事スポットになった。テレビで見るアメリカ人の家のような、メルヘンチックな白い建物だったと思う。

小松での祖母との買い物は僕にとってハレの日だった。今はもう存在しない小松ビルディング、通称コマビルと西武デパートを巡って、地元では手に入らない本やCDを物色した。僕はアスレチックでも遊ぶように店から店を飛び回ったが、祖母はエスカレーターにうまく乗れず、年寄り特有の逡巡するステップでモタモタしていた。

そして彼女はモスバーガーでの注文の仕方も心得ておらず、というか一向に学ぼうとせず、最初に席を取るのが気まずかった。食べる時も大口で食らいつくということができず、バーガーを分解して食べていたのが子供心に恥ずかしかった。

僕は早々とライスバーガーから脱却し、ジューシーで必ずケチャップで口が汚れるトマトとカクカクした玉ねぎがアクセントのモスバーガー、そしてカリカリのチキンカツとパリパリのキャベツに得体の知れないソースが絡むチキンバーガーをダブルで食べるのを定石としていた。

僕はエスカレーターには迷いなく乗れるし、ファーストフードで正しく注文ができる。バーガーにも食らいつくことができる。この家で一番頭がいいと思っていた。家族はちょっと愚鈍なくらいがいい。

僕にとってモスバーガーは、子供らしい全能感の象徴なのだ。

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