「執着の分散理論」 〜「好き」とは何か?〜 (LOVE理論 / 水野愛也)

少し時間ができたので、久しぶりに水野愛也さんの『LOVE理論』について書いてみようと思う。モテない後輩たちに光あれ。

さて、同著本編の最初で触れられるのが、「恋愛理論の中でも基礎中の基礎であり、恋愛の根本原理である『恋愛五大陸理論』」というものだ。

そして、まさにその第一に来るのが、今回扱う「執着の分散理論」である。

端的に言えば、一人の女性に執着すると心の余裕をなくして切羽詰まって引かれるから、同時に複数の女性にアプローチせよ、ということだ。

確かにこれはいろいろな男性向け恋愛マニュアルや恋愛テクニックの類で見かける技術なので、帰納法的に導かれた確度の高いものなのだと思う。本書では語られていないが、「動物の本能」的な観点から恋愛テクニックを説く者は、女性は女性に人気のある男性=強いオスを好きになる、そういった解説を見かけることもある。

このパートで水野さんが重きを置いているのは心の余裕を持ち、自然体の自分の魅力を失わないようにすることだ。

それよりも、僕が注目したいのはこの部分である。

「いや、恋愛っていうのは一人の好きになった女性を口説くものでしょう」
 そんなことを口走るお前の顔面に正拳突きを叩き込んでも良いだろうか? なにが「好き」だ。
 お前たちが感じる「好き」なんていうのは、ただ外見が好みの女が勘違いさせるようなちょっとした優しい態度をとったから「もしかしたらあの女イケるんじゃねぇの?」そう思って好きになってるだけだ。これは、まだ知りもしない女に対して勝手な妄想を膨らませているだけ。いわゆる「恋に恋している」状態だ。

そう、重要なのは、「好き」とは何か? ということなのだ。

誰かを好きになるとか恋をするというのは、つまり自分が是とする性格や気質、思想などを相手に見出す、ということである。

そのため、勢い、自分の理想を投影しがちになる。

モテない男は大抵、大人しく控え目な女性、リアクションの少ない女性を好むが、それは、「おしとやか」「上品」「清楚」という表向きの理由ではなく、単に理想を投影できる人形だからである。

そして、相手を見ずに、恋に恋をして独り相撲を取り、勝手に自爆する。これが黄金の失恋パターンだ。

だいたい、今自分の周りにいる男友達は、いかにして友達になったのかと考えてみよう。多くの出会いの中で、共通の趣味や境遇があり、つるんで遊んだり夜通し語り合ったりしていくうちに、ふるいにかけられていき、気の合う奴だけが残った、そういうことではないだろうか。

言うまでもなく、気の合わない人間と四六時中一緒にいるのは、心乱される地獄である。女性も、それと何も変わるところはない。

自分の理想を見出し、すり合わせながら、ともに変わっていけるような「人」を見つけるには、たくさんの「人」と出会わなくてはならないのである。


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