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難しい



難しいことに挑めば挑むほど、
その達成感は大きく

やる価値がある、
やってよかったと思える瞬間も多い。


だが、そこに大きな罠がある。


ダンスを長年していていつも感じるし、
ずっと言い続けてきているがなかなか伝わらないこと。

それは『難しいことができるようになった』
その結果など、見る人には関係ないということ。

あなたがどれだけ頑張ったか、そんなこと見る人には関係のないことで

見る人は、それが楽しいか、感動するか、良いと思うか、それだけの話でしかない。

これはビジネスなら何でもそうで、

広告業界などがわかりやすい。


ポテチの袋のデザインで言えば

デザイナーはもっと斬新でカッコいい袋を作れる。
それが作れたらもっと楽しいと感じるはず。

だが、誰もポテチの袋がかっこいいからと言ってそれを買おうとは思わない。
ただ、食べたいと思うかどうか、それだけだ。

そこに必要なのは、『何味か』や『増量』など、
それを食べたいという欲を、見た人に与えられるかどうか。


誰にも真似できないデザインや、クールでかっこいいデザインなど、何の意味もない、
一生懸命デザインした!なんて努力も何の意味もない。それを食べたいかどうか、それが全て。


ダンスはどうか。

本当に見る人のことを考えているのか。


自分が必死に練習して、これができるようになった!

それを見せる『発表会』というステージの時代は、とっくに終わりを迎えている。

大事なのは、自分が必死に磨いた技術を
『どう使って、どう人に見せるか』。


ところがダンスは難しい。
シンプルなダンスでいい、と言われても
そのシンプルなダンスも難しい。

ダンスは全て難しい。


だから勘違いしてしまう。

ダンスのゴールは
『難しいことをやり遂げること』だと。

『難しいことをしているからすごい』のだと。


違う。


難しい技術を使って『魅せる』ということをしている。


難しい技術は準備段階にすぎない。

だが、その準備がまた楽しいんだわ。


楽しいから、準備を終えた段階で満足してしまう。

準備が完了したもので、その先の『魅せる』というとこまで進まない。

だからダンスを知らない人達のとこまで届かない。

ダンスをしている人にしか伝わらない。

ダンスをしている人じゃないと、
いかにそれが『難しい』かがわからないから。


そしてダンサーは周りのダンサーのことを
『いかに難しいことができるか』で評価する。
『いかに難しいことをしたか』で競い合う。


『難しいこと』が頂点であり、ゴールになる。


その中でダンサーは評価されるが、

それは世間一般の『もっと見たい』かどうかの評価やゴールとはかけ離れてしまう。


だからダンスは広まらない。

ダンスを知らない友達が自分のステージを何度も見に来てくれるなどまずありえない。

一度の『すごいね』で終わる。

それが今のダンス界。



ダンサーがダンサーを見る目を変える必要がある。

皆がそこに向かって努力する必要がある。

難しいことではなく、

何を魅せたか、ダンスの技術を越えた部分で。


ダンサーは『自分はこれができる』なんてプライドは捨てるべきだ。


『できる』『できない』なんかでダンサーの価値を決めるから殻に閉じこもってしまう。

“ーあの人はできるけど、自分はできないからー”



自分ができる範囲のダンスでいい、
自分が『どうやって魅せるか』を考えることに
もっと価値を生んでいかないと
ダンス界は大きくならない。

『わかる人だけわかればいい』

それは無責任だと思う。


これからのダンサーの未来を奪っているのも、
ダンサーとしての自分の未来を奪っているのも、

自分達ダンサーなんだということを
もっと理解する必要があると思う。


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