情報が入る環境に身を置くー情報生産者になるよりー

上野千鶴子さんによると、情報とは一次情報と二次情報があり、メディアや雑誌、著書などによる誰かが「加工」している情報は、二次情報と呼ばれる。

研究では、二次情報(セコハン)ではなく、一次情報にアクセスすることが重要と。

たしかに一般社会でも、メディアの情報に右往左往されることなく、自分なりの情報理解をすることを、リテラシーと呼ぶし、「ほんとかな?」と常に考えることの重要性はある。


ただ、一方で、一次情報の中に住んでいる現場の保育者にとってはどうだろうと考えていくと・・・そうとも言えない。当たり前だ。上野さんは、研究者からの視点で描いているので、それがそのまま当てはまるはずもない。


現場の保育に当てはめて考えると、一次情報は現場の子どもの姿や、保育者の思い、環境、組織運営などが該当し、二次情報は雑誌や著書などのメディア情報、講師の理論なども当たるかもしれない。

でも、保育者が解釈した日誌なども、「加工」という意味ではセコハンに当たるのかな。うーん、どの視点で切り分けるのかによって異なるのだろう。

違う視点から見ていくと、保育者にとっては、一次/二次というより、情報そのものを収集しやすい仕組みの中に身を置く、という事が大事かな。

というのは、研究者が研究をする際に、情報というのは必須ではるが、現場の保育者は、例えば他園の情報や理論的枠組みというのは必ずしも必須ではない。

極端な話、なくても保育ができてしまう。

保育者の専門性を考えると、大いに問題なわけではあるが、現状はそうだ。


ただ、保育をもっと面白くしたい、こうしたい、という意思を支え、実現していくためには、他の情報というのは当然ながら必須になる。


情報がたえず入ってくる環境に身を置くということなのだが、

繋がりが全くない中で、どうやってネットワークを構築していくのかは

難しい。


今、どこで情報が最も流通しているか、それはSNS。

研修情報から、個人の研究会、つぶやきまで、幅広く流通している。

しかし、これにはハードルがあって例えばFacebookでは繋がりがないと

情報が入ってこない。

だから、現場の保育者で知っている人、あるいは研修で知り合った人、あるいは講演や講義で聞いた先生などと繋がることをお勧めする

(顔見知りでない場合は、一言メッセージを添えるのが最低限の流儀ではあるが)


そうやって、繋がりを広げていくと、情報は自然と手に入る。


あとは、Facebookのグループも活用できる。保育系で自主的にグループを

作っている人は沢山いる。こちらの方が入りやすいかもしれない。興味を持てそうなグループに入って情報収集する、ということも一つである。



いずれの方法も、まずは自分が一歩を踏み出さないと、道は拓けない。

「自分にとって当たり前のことが、当たり前にならない環境に身を置く」

これは、研究に有効な情報を得るための上野さんの助言。

現場の保育者にとっても、大いに参考になる言葉でもある。



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