あいまいなままにしておくことー発達162号から

ここ数年の自分の保育実践において、子ども理解はいかに、曖昧なままにしておくのか、というのが根幹にある。

特に、この子がしたいことは一体なんなんだーと迷ったり、悩んだりする時には特に。

答えが出ない、あるいは暫定的でも何らかの結論や解が出ない状態って、苦しい。

この洋服欲しいけど高い、でも早くしないとメルカリでうれてしまう・・・そんな悶々とした気持ちを抱えたまま常にスマホを手にする。そんな時は、なんかぼくは早く結論を出したほうがスッキリしてしてしまう衝動にかられてしまう。

そんな衝動に負けて、今年もapple Watchやコートを買ってしまうのであるが・・・。

発達162の「人との関係に問題をもつ子どもたち」の連載で、『あいまいなままにしておく』ことの大事さが綴られている。

発達に課題を抱えた青年期の少年が、将来を危惧したり、友だちとの関係に悩みつつ、言葉にならない悩みを抱えている。

本人にも分からないその悶々とした気持ちを、就職間近というリミットが迫っても、教師はその明確にならない思いを、不明確なまま丸ごと尊重している。

もしかしたら、大人が結論を出したほうが早いかもしれないし、保護者や同僚に対しても圧力があるだろう。

曖昧なままにしておける、というのは、その子のことを尊重している一方で、実行するのは容易ではない。

なぜ、答えを出さないのか、もしくは教師自身の力量も問われるからだ(状況によっては)。

事柄によっては、例えば働き方は不明確では仕事にならない。出勤時間が、日によって、気分によって異なると、混乱するだろうし。

曖昧なままっていうのは、言葉にすれば、0か100かではなく、濃淡で描き出せるようなことなのだろう。誰かが言ってたな。

人と人との関わりにおいて、保育においては、この濃淡で表現した方がいいことはたくさんあるような気がする。

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