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僕は孤独に生きたいのか?noか??矛盾した思考。。

 台風の影響で外出が出来ない。。実家暮らしなので、家族と長い時間生活することになった。テンションが高すぎて煩い。声が高く頭に響く。テレビを大音量で見る。テレビは薄っぺらい内容ばかりで頭が悪くなると思うので見たくない。大音量で音楽を聴く者がいる。そっちに気を取られて自分が何をしたいかすら考える暇がない。

 集団生活に疲れた。僕の実家は平建てで個別の部屋があるというよりは全員で一つの広いスペースを共有している。部屋といった部屋がないため、僕のような静かな人間は苦しい。ただ、職場から近く、家賃数万円を払うことを条件に食事と洗濯を任せている点、楽出来る。

 今日は耳と頭が痛くなったので、家の端っこの物置の隙間に入り込みしばらく籠った。割と静かでリラックスできた。僕は聴覚過敏なのかと最近思う。小さな音にも注意が集中する。複数人が会話をすると混乱というかストレスになる。ザワザワとした環境でコミュニケーションを取るのは好きではない。振り返れば、教室で人の声が混ざり合うのが嫌いだった。ひとり暮らしをし、物音一つも聞こえなかった大学時代は快適で好きだった。

 僕は孤独が向いているのかもしれない。そう感じるようになった。

 結婚したら不幸になる人、そうでない人がいる。僕はどっちだろうか?騒がしい家庭を耐えれるだろうか?子供の暴れるところにストレスを感じないだろうか?想像してみれば、不幸にならないとは言い切れない。僕は聴覚過敏だとしたらこだわりの強い厄介者になる。結婚は、無理だ。僕のような人間が無理して結婚というレールを意識したらとんでもないことになる。
孤独に生きることを恐れず、こいつが好きだと思える人間に出会えるまで考えない。まあ、僕のような人間は恋人すら作れない。まあ、それでいいやりたいように生きて、孤独ならそれが本望だ。無理して結婚しようともしないし、独身の方が性に合うと思っている。

 矛盾しているようだが、僕は他人が喜ぶ姿を見ることが好きだ。もちろん自分も好きだ。他者と関わりが無くなれば他人が喜ぶ姿を見れなくなる。それは嫌だ。もし、行き場に困って飢えて苦しんでいる人が居たら、風呂に入れて沢山ご飯を食わせたい。ただ、その人間が自分で飯を食えるようになればあっさりと別れを告げるだろう。僕は依存というワードが苦手だ。自立という言葉が好きだ。他人が困っていれば助ける。ただし自立しなければ救ったことにならない。なぜなら自分が死んだ時、彼らに生きる力が無いから。僕は他人が自立する姿が見たい。その成長に喜ぶ。だが、人間はそんな理想通りではない。依存するようにプログラムされて生まれたり、依存をされるのを好む人間もいる。それが真理だ。僕は理想を語っている。理想を語るだけであり、現実は何も行動してないし、好き勝手生きている。

孤独に生きたい。だが他者の為に生きてみたい。矛盾しているが、これが本音である。

天に委ねる。適当に生きる。

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