ADHDという難儀なボクら 幼少期〜高校卒業
「僕の妻は発達障害」
というコミックを最近読んだ(以下、本書)
ここでの発達障害はADHDの内容が主となっている
さて、私ことオデンタベルさんもADHD(グレーゾーン)です
診断書はもらっておりませんがクリニックを受診し先生から間違いないだろうとの回答をいただいた
その上で「インチュニブ」を処方してもらっている
本書を読んで自信を省みる良い機会になりそうと思いnoteに書き連ねていこうと思ったので、今回は成人するまで持っていた違和感を書いていく
ADHD故の違和感
その一番古い記憶は幼稚園に編入した時だった
本書にて「母」という漢字を正しく書けていないという描写があった
これに近いことが記憶の中にある
幼稚園で母の絵(その場に母はいない)を描くというシーンがあったのだがとても歪な絵だったことを覚えている
オデンタベルさんは相貌失認でもあるがADHDと絵が苦手なことも相まって大変な絵となってしまった
幼心ながらにも「なんでこんな絵に…」と自身で思うほどだった
そして時が経って、小学生
連絡帳という伝達事項用のノートを頻繁に学校に忘れる、プリントを失くすといった事が毎週のようにあった
言われればプリントをもらったことは思い出せるんだがどこにやったのかは全くもって思い出せなかった
これは小学生以降、今に至るまで「よくあること」である
そして、中学生
この頃から所有物が増えていき、その管理(とりわけ片付け)ができなくなった
やはり本書でもそういったシーンが散見される
こちらもまた今に至るまで「よくあること」だ
この頃から日々の宿題なども全くできなくなっていた
もの凄い溜め込んで1人で夜の19時まで学校に残された事もある
やらなければならない事に取り組めないという典型的なパターンだ
特に、人生において夏休み中の宿題を完全に終えられた事は一度も無い
社会的には「やるべきことをやらないダメなヤツ」として処理されてしまうが我々にとっては課題もその後の周囲からの評価も苦しいものだった
社会の正論の前には僕らは「ダメな人間」のレッテルを甘受して、世間に対し日陰者のような心持ちで生きていた
結局、心は徐々に荒れていった
そして、高校生
規律の多い私立高校に入学したせいで学校に行くことや上記のレッテルがストレスで、人生を狂わせる分岐点となった
この頃は学校がストレスすぎてあまり行かず、悪いことをしたり飲食店でのバイトに明け暮れていた
(なぜ卒業できたのかはいまだに謎)
学校にあまり行かなかったため忘れ物自体するシーンに遭わなかった
行くにも午後からだったりとやりたい放題だったので遅刻も意図的にしていたせいで違和感が無かった
そうして道を踏み外した上に高3の2月に難病にかかったことも相まって、滑り止めで受かっていた大学もヤケになって蹴ってしまった
こうして、飲食店でのバイト経験しか武器が無い中、無根拠な何かを期待して上京することになる
この時は学校という場においての社会性の無さや中途半端に突っ張っていたせいでADHD特有の生きづらさが自分の中で全く目立たなかった
そして、オデンタベルさんは成人した
案の定、徐々に生きづらくなっていった
これがオデンタベルさんの成人するまでのADHD遍歴です
こうしてみると中学くらいまでどことなく違和感を覚えていたのに、人生で何かを踏み外した瞬間にその違和感を感じる余裕はなかったんだな
実際書いていく中でADHDに関する内容が思ったほど出てこなかった
成人してからの方が深く書けそうだけど、そっちは書くかわからない
もし機会(という名のやる気)に恵まれたらぜひそちらもよろしくお願いします
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