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遊☆戯☆王への感謝

高橋和希先生が亡くなった。

7/7の日中、職場でデータ整理をしていた際に、息抜きにtwitterを開いたら、高橋先生の訃報が目に入ってきた。あまりにも衝撃的なニュース。

悲しみよりも虚無感があまりにも強く、未だにどこかフワフワとした感覚がある。普段著名な方の訃報にここまでショックを受ける事も引きずる事も少なく、今まで遊戯王が心の支えとなっていた事に改めて気付かされた。

自分の心に整理をつける為にも、私にとって遊戯王とはなんだったのか、思い返してみようと思う。


OCGを本格的にプレイし始めたのは大学4年の卒業間際からだが、原作は幼少期から好きだった。 特に、当時なけなしの小遣いで買った、パンドラ戦が収録されている単行本は紙が擦り切れるまで読んでいた記憶がある。

大学の卒業間際、大学の友人から遊戯王を誘われてどっぷりはまってしまい、高校時代の友人を誘ってこれまた友人もはまってしまい、あの頃は無我夢中で遊戯王をプレイしていた。

その後大学を卒業して、2011年の4月から新卒で働き始めた。
初めての社会人生活、実家暮らしからの卒業、慣れないことだらけだが意外とうまくやれていた。このまま順風満帆に、と思っていた。

その年の12月、新卒で入った会社から逃げ出した。無様だった。仕事がうまくいかず、チンケなプライドが邪魔して誰にも相談できず、追い込まれ、ただ逃げた。今思うと大したことのない事の積み重ねだったと思うが、崩れたプライドを組み直す術を当時の私は知らなかった。

辞める直前の事を思い返すと、ボロボロの心の支えは遊戯王だけだった。仕事終わり、コンビニを巡り売れ残っている古い弾のパックを毎日買っていた。

大量のノーマルや字レアを見ている間は気持ちが安らかだった。休みになると、地元にプチ帰省をして、友人と遊戯王をした。プレイしている時だけは腹の底から笑えたが、時計を見るのが本当はちょっと怖かった。幸せな時間が終わるのが悲しすぎて。

もし、あの時、心の支えの遊戯王が無かったら…。


2012年1月、仕事から敗走した私は実家に戻る事となった。暗い部屋で一人、PCの画面をつけたまま、何も始められず震えていた。当時、自分はもうこのまま終わりなのだと思っていた。あとはこのまま下降していくだけなのだな、と。漠然と自分の終焉を感じていた。

終焉を前に何にもやる気が起きなかった毎日において、ある日、何がきっかけか忘れてしまったが、ふと初代の最終回の闘いの儀を見た。自分の使命を忘れてしまった私の心の奥底に何か響くものがあったのだろうか、

そこから立て続けにGXを見始めた。無職だから時間ならいくらでもあった。
深夜皆が寝静まってからPCの前、何者にもなれなかった自分には万丈目が、ジムが、カイザーが、皆が眩しかった。

他にはニコニコで遊戯王凸待ちに挑んだり、何回か自分がホストで生放送をした時もあった。決闘を通じての会話は楽しく、対戦相手からおジャ魔女のオススメ回を教えてもらってハマった時期もあった。

週末には友人と変わらず遊戯王をした。変わらず接してくれた友人達には感謝してもしきれない。

そしてGXを見終わり、私が新卒と同時期に始まったZEXALを今度は見始めた。その頃には目が慣れたのか、眩しさに目をやられることも無かった。


そして、逃げ出してから約1年後の2013年1月、永遠に続くのではないかと思われた無職生活についに別れを告げる事となった。私はようやくまた自分のデュエルディスクにデッキをセットすることができた。


今思えば、2011年、遊戯王が無かったら多分、心が折れきっていただろう…

2012年、遊戯王が無かったら、また立ち上がる事ができなかったかもしれない…

思い返してみると、遊戯王というコンテンツがあったから、今、幸せな日々を過ごせている私がいるのだな、と改めて感じる事となった。

あの日見た闘いの儀は、まだ私の心の中で残り続けている。

そしてこれからも…。

高橋和希先生、ご冥福をお祈りします。
本当に、ありがとうございました。


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