追悼

犬を撫でに帰るか、というのが自分に認める唯一の帰省理由にあったけれど、ホームシック気味でそう思いつくたびに、もう通用しないのだとハッとなり(本当にはっとするものなのだ)、

クソどうでもいい日常の動作(ゴミを捨てるとか)であっても、そういえば犬とあんな事があったと、思い出に満たない記憶の逆流が起きて立ち尽くす、みたいなことが何度も続いていた。

もう帰る気にもなれないのでは?と、ずいぶん悲観的な考えが支配的になってきた辺りで、どうにも帰らなくてはならない用事が立ち(歯医者であった、なんだそれは)、家に帰れば当然骨と灰のおさまった骨壷がある。いや、いる。


燃えゆくお前の火を見届けて、これで終わったのだと思ったら、受け取った壺はほんのり暖かく抱いた時とまるで同じで(焼いた直後の骨は熱かったのだ、当然)、家に帰るまでもう一度だけ散歩させてもらった気分になった。

そうして、そうして本当に終わったのだと思っていたが、どうやらそれも間違いで、依然としてそこにいるのだなと小さな壺は思わせた。魂の在りかなんてものを考えた、もう少しお前に会いに帰ってきてもいいのかもしれないと思った。幾ばくかを譲り受けて、また進もうと思える。

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