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『タコピーの原罪』感想:わたしたちの無力さ


※ 作品のネタバレを含みます。







あっという間に年の瀬。
タコピーが完結したのは3月25日で、その時に走り書きした感想を整理してみる。

走り書きのままにしていたのは、疲れきってしまっていたから。

体力がない。

ちいさいころから疲れやすく、なにをするにも億劫だった。
そして、億劫そうにしているガキは可愛げがない。
家族、先生、クラスメイト、地域の大人、誰からも疎まれるガキだった。
給食はぐちゃぐちゃに混ぜられていて、クリスマスのチョコレートケーキはシチューの中でどろどろに潰されていた。カツオのふりかけとミックスされたデザートのゼリーは生ザカナみたいに青臭くて最悪だった。筆記用具がなくなるたび、また両親に怒られるのがこわくて、どうすればいいのかわからなくなって、いろんな教室のゴミ箱を漁ってまわり、ようやく女子トイレに投げ込まれている筆箱を見つければ心底ほっとした。

ある日、学校の健康診断で、心臓に先天性の問題があると知らされ、すこし気が楽になった。

自分の怠惰さは、自分でどうにかできる類のものではないのだと、そう思えたから。
なにも解決はしなかったけど十分だった。
心臓の問題がほんと〜に自分の性格と関係あるのないのかは、どうでもよかった。
それっぽい言い訳が欲しかっただけ。

以来、自分のダメっぷりに寛容になった。
恥を重ねるたびに自分への期待値を下げていく。
どんどん生きやすくなっていく。
自分に甘く、いい加減に生きているロクデナシだが、それでいい。
恥知らずに日々を浪費していくのは自分にとって福音だった。


以前はもっと、自分でどうにかできる事柄がたくさんあると思っていた。
周囲の事柄に対してだけでなくて、自分の怠惰さや、みじめさや、なさけなさを、どうにかできるはずだと。

だけれど、毎日の暮らしのなかで思い知らされ、
抱えきれないほどに大きくなっていくのは、
どうしようもできないことの多さだった。

周りの物事はどれも複雑怪奇に入り組みあっていて、
そしてキリがない。

仕組みからして必然的に湧いてくる事象たちを、単純にいいとかわるいとかなんてとても言えそうにない。
自分自身さえ手に負えない。
どこに生まれてどう育つかで、選択肢がぜんぜん異なる。
あとになってからはじめて、あの時はこうすればもっと上手くいったのかもしれない、なんて思ったりもするけど、その時の視野では、能力では、その選択肢しか見えていなかったんだよな、と、ため息をついてばかりいる。

『タコピーの原罪』を読むと、そんなどうしようもできなさ、無力さについて思いを馳せてしまう。


……だれもが、どうしようもできないことばかりに囲まれている。
大人でもそうなのだから、ましてや子どもじゃ。
めぐり合わせは理不尽なものだし、起きてしまったことはもう、どうしようもない。
たとえハッピー道具みたいな超現実の便利アイテムがあったってうまくいかないくらいに、
他人にも自分にも無力なことばかりだ……


全話を通して、そんなことをあらためてひしひしと感じさせられる。

とくに胸に刺さるのは、
15話、しずかちゃんの叫び。

一体どうすればよかったって
お前言ってんだよ!! 

起きてしまったことはもはや、
起きてしまったことでしかなくて、
後から どうすればよかった なんて言ってもしょうがないのよな。
どうすればよかったなんて誰も言えない。
外野どころか、当事者ですら言えないんじゃないか。
できることなんて、嘆くことくらいじゃないのか?

見えなくなっちゃうんだよな、ちがうやり方なんて。その時には。
必死だから。

あとから思えることなんて、
「おれもあいつもみんなも、それ以外できなかったんだろう」くらいじゃないのか?

でも、
いつも、
なにかが終わってしまった後には、
どうすればよかったんだろうって、
ずっと思ってばかりです。

東くんのお兄さんは優しいし、しずかちゃんもまりなちゃんも東くんも健気だ。
だけど、優しさや健気さが報われることは少ない。
無意味とは言えないけど、報われるなんてとても言えない。

ハッピーエンドを迎えた「2016年の君たち」

タコピーの原罪はネットでもめちゃくちゃウケた。
「百合に挟まりたがるタコピー」はミームになってる。
ウケた理由はなんだろう?
小学生が置かれた悲惨さ・救われなさという表面上のギャップだけでなく、各話ごとの終わりでの引きの強さ、キャッチーさだろうか。

お話はどんどん悪い方に転がっていく。
次はどうなるんだろう?どうなってしまうんだろう?
不安と好奇心、怖いもの見たさがページをめくらせる。

タコピーがなにかするたび、事態はもっと悪い方へと転がっていく。
よかれとおもってしたことが裏目に出てしまう。

101回繰り返したバッドエンドが "ハッピーエンド" を迎えられたのは、物語のうえでは「おはなしの積み重ね」のおかげ、として描かれる。
タコピーは相手の話を最後まで聞かずに動いてしまう。その結果、相手を助けるどころか傷つけたりする。だけど、その積み重ねがなにかを残すことがある。
しずかちゃんとまりなちゃんは、積み重ねたタコピーとの日々を互いに喪失したという共通項によって和解する。


こどもの無力さ

けれど、このお話に出てくる親子はみんな断絶したままだ。
しずかちゃんとまりなちゃんにとって、つらく苦しい現実は変わらない。
(致命的に傷つけあう関係のひとつが、励ましあう関係に変わったとはいえ。)

しずかちゃん、まりなちゃん、東くんはみな、
それぞれの母親にどこか似ている。

しずかちゃんは母親と似た振る舞いをして周囲と接し、
まりなちゃんは急変する母親の機嫌に怯えてやるせない衝動を発散し、
東くんは母親の愛情に飢えている。
しかし、母親と和解することはない。
呪いはそのままで。

変わったことといえば、東くんは兄と話せるようになり、しずかちゃんとまりなちゃんがおはなしをするようになったことくらい。
でもそれはこどもたち自身とタコピーが頑張ったからで、
大人は無責任に振る舞うだけ。これまでも、これからも。

こどもたち同士で助け合うことで、
彼らはなんとか生き抜いていく。


タコピーの不在:バッドエンドはそこいらに

『タコピーの原罪』がハッピーエンドを迎えられたのはタコピーが頑張ってくれたからだ。

だけど、現実の子どもたちの前にタコピーは現れないし、ハッピー道具もありはしない。

やりなおせるわけもないから。何事も。

現実とおはなしは違う。
起きてしまった後に、おはなしみたいに美化することはできても。

とすると、『タコピーの原罪』が示しているのは、むしろ現実にあふれるバッドエンドだろう。
タコピーに会うことなく自殺する無数のしずかちゃんたち、
親の面倒をみつづける無数のまりなちゃんたち、
プレッシャーに押しつぶされる無数のあずまくんたち、
2022年を生きた彼らの多くは、
2023年も逃げ出せないままもがくしかない。

助けてあげる、なんて上から目線でうまくいくことはたしかにすくないだろう。
そしてやはり、おはなしもまた、あまりに微力だ。

だけどわずかな寄り添いがなにかを変えることもあってほしい、
そんな祈りを、『タコピーの原罪』を読むと抱かずにはいられない。

タコピーはポンコツだけどおはなしを聞こうと頑張った。
せめて僕らも頑張りたいね

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