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はじめに

現在私はフィリピンでプロサッカー選手として
生活しています。

プロサッカー選手になって5年、ようやく選手として
成果が出始めた頃だと思います。

これまで全くの無名だった私がAFC Champions LeaugeプレーオフのFC東京戦まで進み、一選手としてほんの少し注目されました。
その際SNS等でも多くの方に注目して頂けるようになりました。

現在コロナウイルスの影響を全世界が受け、
多くの国のリーグ戦、カップ戦が延期、中止に
なっています。

フィリピンも例外ではありません。
リーグ戦は延期、国の政策として外出禁止令が出されたため当然練習も行われておりません。
それどころか、ここ1週間は1歩も外へ出ないなど経験した事の無い、信じられない状態となっています。
みなさんで協力しコロナウイルス打ち勝ちましょう!

そして辛い時期ではありますがポジティブに!

今回時間があるという事で、応援して頂いている多くのみなさんに少しでも自分を知ってもらおうと幼少期から現在に至るまでのサッカー人生を綴ろうと思います。

それではみなさん今日は私の幼少期がどんな少年だったかご覧ください!


1. 幼少期

サッカーを始めたのは4歳!
幼稚園の年中の時に白糸台グレミオという
幼体連のチームに入ったのが最初です。

父がサッカーが大好きだった影響で

通っていた幼稚園のサッカーチームに入った。
そんな感じだったと思います。
最初は泣きながら練習に行っていたと母から伝えられました!

正直記憶がほとんど無いのですが、
一番初めにやったポジションはゴールキーパー
なんでキーパーだったのかは分かりません😅

小学生に上がってからもポジションは変わらず、

この頃にはもうサッカーしか頭に無い
サッカーバカ
学校が終わって家にカバンを置いたら
すぐボールを持って学校のグランドに行って鐘がなるまでサッカーしていました!

ゲームとかあんまやってた記憶無いですし、

誰よりも負けず嫌いだったと思います。
みんなが引くくらい。
負けたらいつも泣いてたので泣き虫って
あだ名だった気が、、、
あとゴボウとか、、、細かったから、、、

白糸台グレミオにも身体能力の高い子が多くて小学校4年生までは市でも常に1番、2番のチームで、
4年生の時にあった都大会でも2位とか結構強かったです!

ゴールキーパーとしてセービングもまずまず良かったですし、キックが飛ばせたので自分でいうのもなんですけど結構いいゴールキーパーだったかと。

味方がコーナキックの時は上がってヘディングで点取ってしまうみたいな事もあって輝かしい時代でした。

だったんですが、、、、

小学校4年生から5年生になるあたりで
違うチームに移籍することになったんです。

その話はまた明日!




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