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不甲斐なさ

4年生
学生生活最後の年にキャプテンに就任した。

関東リーグに復帰した昨年度
残留を目標にしていたチームは
一丸となり素晴らしい成績を残した。

そして始まる新シーズン
キャプテンとして迎える最終学年

自分達の代で結果が残せるか?
個性的な選手が多かった自分達の代をまとめれるか?
チーム全体をまとめれるか?

とにかく不安だった

新チームが始動してから
自分はチームのキャプテンとしての自覚ある行動が
取れなかった。

自分の中で良し悪しの基準をはっきり持てなかった。
チームの反発を怖がってみんなに自分の意志を
きちんと伝えられなかった。

この2つが原因だった。

やっている選手達も昨年に比べ団結力の無さ、
そしてチームとしての選手のやるべきプレーに
迷いが多かったように感じた。
これは確実に自分に責任があった。
キャプテンとして最上学年としてチームに
方向性をもっと示すべきだった。

そしてリーグ戦が始まり前期チームは低迷した。
粘り強い守備が持ち味だったが、この年は1点差のゲームを落とす事が多かった。
さらに集中を欠いて複数失点での敗戦も何度かあった。

個人としてもパフォーマンスは思うような物では無かった。これは明らかにメンタル面でのコントロールが失われていたためだ。
思い切ったプレーがなかなか出なかった。
躊躇や迷いが自分のパフォーマンスを低下させた。

みんな苦しかったはずなのに、
一番肝心なキャプテンである自分は何かを改善しようとする姿勢をチームに見せるどころか
監督、コーチがこの状況を変えてくれると思っていた。

後期に入っても状況は変わらなかった。
1点差ゲームをことごとく落とし、11 試合ある後期のゲームで1勝しかあげられなかった。

個人のパフォーマンスも当然上がってこなかった。
技術とか戦術とかそんなもの云々ではなく、
キャプテンとしての自覚、責任が足りず
不安を多く感じ思い切ったプレーが出ない。
不甲斐ないプレーが多かった。

そしてこの年

チームは降格した。

本当に自分が情けなかった。
降格した事がいけないんじゃない。
何もしなかった自分に落胆した。

あの時のチーム後輩全員、来年入ってくる新入生には

本当に申し訳無い気持ちが大きかった。

個人としてもこの年はプロになるため
就活は一切行わず、リーグ戦でアピールして
必ずオファーをもらってプロになりたいと
思ってた。

ただリーグが始まり、シーズンの終盤になるにつれて
そこの気持ちにもブレが出てきた。
Jリーグのチームには練習参加も出来ず、
このままではプロになる事はできないかもしれない。

そんな不安もあった。

有難い事にフィリピンのプロクラブからオファーを
頂き契約する形になりました。
(※この事に関する経緯等は再度noteにて掲載します。)

当時の思いを書いているので
内容はネガティブなものですが

この大学4年生時の経験というのは
今現在、私がサッカー選手を続けている中で
本当に自分の支えとなっている1年間です。

この年の経験というのは忘れる事はありません。
私がその当時出来なかった事を反省し
その上でこのような事が起きないように
日々全力で練習から取り組んでいます。

ここまでが大学生までの私のサッカー人生の
振り返りでした。

少しネガティブな内容もあったかと思いますが、
ここまで大変多くの方に支えられて、
たくさんの迷惑をかけながら一選手として
成長してきました。

一つ私が誇れる事は、

「小、中、高、大の全てのカテゴリーで選手として爆発的な成長をその都度してきたことです。」

これはプロになった今も同様です。

そしてここまで選手として大きくなれたのは
当然ながら家族の支えがあったからです。
両親は私が進学する際どの選択をしても前向きに理解し全面サポートしてくれました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そんな私がプロ選手になってから今までがどんなものだったか?

次のフィリピンプロサッカー選手編へ

つづく






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