伸び悩み

中学生になった私は
府ロクジュニアユースに所属しました。
当時の私はFC東京ジュニアユースの選考に落ち
なかなか気持ちの切り替えも上手くできずにいたかもしれません。

きちんと現実を受け入れて
そして自分の夢、目標に向かって何をするか?
中学生時代の私にはここの気持ちの整理が
上手くできませんでした。

入団当初は
「俺は東京トレセンだったからこのチームでは間違いなく中心選手だ」
と何もチームに残していなのに本気でそう勘違いしていました。

当然最初はみんなよりも少し能力は高かったかもしれないですし、チームではそれなりの信頼もあったかと思います。

この傲慢なメンタリティは中学生時代の私の
成長の大きな妨げになっていたと思います。

更にもともとFWでスピードと裏への駆け引きを特徴としていたプレースタイルだったのですが、
中学生になった頃から周りの選手の体格やスピードが上がった事で、その特徴が強みとして活きないようになってきました。

この2つの現実にきちんと目を向けられず、
小学生時代の少しの栄光に捉われ、
他のチームメイトや選抜で一緒だった選手たちが
どんどん成長していくのを目の当たりにしました。 

さらに中学生からは1年生次の試合時間が35分ハーフ、2年生次には35分ハーフ、3年生次は40分ハーフと時間が延びた事でスタミナ面でも私のプレーに影響を多く及ぼしました。

中学2年くらいからはポジションが徐々に下がっていき、ボランチやトップ下で試合に使ってもらえることが多くなりました。

そして中学3年になるタイミングで初めてとなる
キャプテンに指名されました。
素直に嬉しかったですし、この時期くらいからはメンタル面できちんと少しずつ自分を客観的に見れるようになってきたのではないかと思います。

ただプレー面ではなかなか思うようなプレーが出来ず
中盤のプレーヤーとしてチームのために
「どういったプレーが必要か?」
また
「個人としてどんなプレーが自分の強みか?」
まだまだ見えてこない部分が多かったです。

それでもサッカーは大好きで自主練やボールに触れる時間は他の選手よりも多かったと思いますし、

「夢はまだプロになりたい」

と思っていました。

ここから高校への進学を考えるにあたり、
私は部活動よりもクラブチームに所属し、
サッカーがしたいと思いました。
それはJリーグのクラブチームと試合が出来る事が一番の魅力でした。

そう思い私はコーチの伝手を借り
三菱養和ユースと横河武蔵野ユース、FCトリプレッタユースのセレクションを受けました。
三菱養和ユースと横河武蔵野ユースは不合格に終わってしまったのですが、
FCトリプレッタユースは小学生時代の東京トレセンでお世話になったコーチが監督だった事もあり、
合格させてもらいました。

こうして私はユースチームに進み
高校生活を送っていく事になります。

その話はまた明日!


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