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「MVP」

2019年11月18日
Davaoから解約された1年4ヶ月後
プロキャリア初の個人タイトル獲得

Copa Paulino Alcantara(日本でいうルヴァン杯)
優勝でシーズンの幕を閉じた。

必ず見返してやると
内に秘めた思いを我慢しながら
焦らず準備してきた結果が最後に表れた。

2019年7月末
一通のメッセージがTwitterを通して入ってきた。

「アジア枠が空いている。チームに加入して欲しい」

現所属Ceres Negros FCからのオファーだった。
二つ返事でオファーを受け入れた。

CeresはAFC CUPを敗退し
リーグ戦とカップ戦を残すのみだった。

8月からの3ヶ月ほぼ全ての試合で
スタメンフル出場し
リーグ戦、カップ戦の2冠を手にした。

当初Ceres加入時は中盤の前シャドーの位置で
プレーしていた。
フィリピンに来てからCeresを敵として
見ていて感じる事があって
実際に入ってみて感じた事もあった。

「Ceresでは中盤の守備的ポジションが合う」

このチームで自分が輝くためには
中盤の底、もしくはDFでプレーすることが
最適だと感じた。

自分の強みは複数のポジションをこなせる事。
それを監督のやりたいサッカーの中で
自分の良さを表現することに長けている。

現に最初の試合こそトップ下で出場をしたが
それ以降は中盤のアンカーとセンターバックで
出場した。

想像通りこのポジションは自分の中でハマり、
チームとしてフィットした感覚もあった。

Ceresはポゼッション型の攻撃的なチームで
センターバック以外は攻撃加勢する選手が多く
カウンターを得意とするチームにいつも苦戦
していた。

そこで自分が上手く守備に比重をおいて
チームの守備バランスを整える事で
自分の存在価値を見い出せると考えた。

ただこれは明確な数字として表れにくく
ゲームの中で評価されにくい部分でもあったため
チームとして結果を出す事が
必要最低限のアピールだった。

幸いにもポジションの変更は監督の判断であって、
それを最適なポジションと見てもらえたのは
自分の中でも大きかった。

1年前に所属チームを解雇され
再びピッチに戻って来れた事で
今までに感じた事の無い充実感と喜びを感じた。

そしてチームはリーグ優勝を決め
来季ACLプレーオフAFC CUP出場の権利を得た。

チームからもシーズン終盤に契約延長を
打診してもらい2020シーズンも契約更新することが
できた。

そして現在までがあっという間に過ぎた。

ACLプレーオフ
1月14日にミャンマーのShun United FCに勝ち
1週間後タイのThai Port FCに勝ち
更に1週間後にチームはFC東京と試合した。
結果はFC東京に敗れ本戦出場とはならなかった。

https://www.soccer-king.jp/news/japan/acl/20200128/1027913.html

個人初の国際大会
そしてアジアで一番大きな大会であるACLに
予選ではあったが出場できた事
これはとてつもない経験と共に大きな影響となった。

続くAFC CUP
東南アジア諸国はCeresを格上と見て
リスペクトした戦い方を受ける事が多い。

ACLとはまた違った試合の難しさと
その国のサッカーを知れること
東南アジアにも自分の存在が広められること
改めてAFC CUPも大きな大会だということを
見に染みて感じている。

サッカーは夢がある。

1年半前
全てを失ってから
国際大会に出場するまで登ってきた。

間違いなく解雇された1年半前から
Ceresに加入するまでの1年間
自分を見つめなおし、我慢し、目標を見失わずに
日々生活していたこと。


それが今に繋がっている。


この空白の1年間は今ではだ。


私がこの1年間の間にしていたこと。










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