感性の人と技術の人
こんにちは!odasisです。
実家に帰ると家族にこんなことを言われます。
専門家ではない人にとっての音楽の仕事は、たとえば紅白歌合戦に出ることだったり、ラジオで歌ったり、そういういわゆるアーティスト的なものを想定されることが多いです。
センスとインスピレーションだけで渡り歩くような、そういう世界の人と思われることも多い気がします。
仕様と技術
たとえば、仕事で曲を作るとして、以下のようなオーダーが来ます。
もっと細かい情報があったり、イメージ映像があったり、実際に動いているゲームがあったり、あるいは逆にもっと情報が少ないこともあるかもしれません。(僕は演出に踏み込んで考えるのが好きなので、ざっくりした指示の方が楽しいです)
これは楽曲の仕様です。発注がある以上、多くの場合そこには仕様が存在して、発注する側は狙った楽曲をクリエイターに作ってもらう必要があります。
仕様が細かいほど、実際に音楽を制作する際に取れるアプローチは限られてくることが多いと思います。
バトルシーンでないならゆったりした曲調の方が良いかもしれないですし、和風のキャラが多く登場するなら和風のアプローチにした方が良いかもしれません。
狙った仕様に音を落とし込むにはスキルが必要です。
「この音をこう使えばこんな感じに聞こえる」という要素を積み重ねていく必要があって、そこにはこれまで聞いてきた音楽や制作の経験をもとにした引き出しが必要で、そういう引き出しは過去に誰かがやっていたことの焼き増しであることも多いと思います。
何が言いたいかというと、仕様に即して作るという場面において、アイデアやインスピレーションが制作に占める割合は意外と限定的だということです。
それよりは引き出しの多さや安定感や速さの方が求められるかもしれません。過去に作ったものと似たものを大量に作ることだってあります。(今後はそういう仕事は減っていく気がしますが…)
こういうときに、銭湯に行ってインスピレーションが得られるかというと微妙かもしれません。それよりは机に向かって試行錯誤する方が結果が出るのは早い気がします。
ただ、そういう限られた自由度の中でも、諸々の仕様をクリアした上で面白い音楽や作品を作る人がいます。これは凄いことだと思います。
限られた自由の中で、それでも創造性を発揮できる人たちが確実に存在するわけで、そもそもアイデアやインスピレーションのような感性と経験などに裏打ちされた技術を二項対立で議論すること自体がナンセンスであったりもします。
技術はアイデアの前提になることだってあるはずで、独創的で個性的な作品も、それを下支えしているのは技術やスキルであることも多いと思います。
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